プーチンを抑え込むヒントはロシア史にある 西側の足並みが乱れた時に、彼らは出てきた

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2016年11月、モンテネグロに掲げられたトランプ氏とロシアのプーチン大統領の看板。本当に折り合えるのか? (ロイター/Stevo Vasiljevic)

ロシアが今、多くの西側の国々の首都で政策論議の中心に据えられている。また米国のトランプ大統領はロシアとの2国間関係を改善するとの野心を持って政権の座に就いた。この目標の難しさを理解するには、ロシアの歴史への理解が必要だ。

ソ連崩壊からすでに四半世紀が過ぎている。2017年は何百年も続いた帝政を打倒したロシア革命の100周年に当たる。

ロシアは帝国主義時代、ユーラシア大陸で領土を広げてきた。ロシア帝国がシベリア東方や中央アジアへの版図を広げていた19世紀に、米国は西部へと拡大し、欧州列強はアフリカを植民地化した。

領土拡張は二転三転

1917年のロシア革命後、中央アジア諸国やウクライナ、フィンランドがソ連からの独立を図った。レーニンは当初、こうした要求を認めるかに見えたが、すぐに旧ロシア帝国領をソ連に組み入れるべく赤軍を展開。ウクライナや南コーカサス、中央アジアでは目的を達した。

しかし、フィンランドとバルト三国で失敗したほか、1920年にワルシャワ郊外での戦いで大敗したため、ポーランドなどの諸国が独立した。

続くスターリンは、テロと強制的な工業化を通じ再興を図った。その後、ヒトラーとの秘密交渉などを通じて、バルト三国のほか、フィンランドやポーランドの一部を奪回。多大なる犠牲を出してナチス・ドイツに勝利した後は、ソ連の勢力圏を欧州の中心部まで広げた。

フィンランドだけは奇跡的に中立を保ったが、バルト三国はソ連に編入され、ポーランドなどは衛星国となった。

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