イタリア製造業の未来はラグジュアリーブランドにあり
ブルーノ:遠い外国でイタリアがどのように報道されているか知らないが、おそらく実態と懸け離れているので、難しいことをぶつぶつ言わずに、イタリアにぜひおいでいただきたい。イタリアはおいしい食事やきれいな女性だけでなく、グッチやプラダなどラグジュアリーブランドのエリアでは、世界で最も競争力がある。私自身はこの分野でグローバルマーケティングをして生きていきたいと思っている。
私が特に関心を持っているのは、たとえばエルメスのバーキンが100万円とかで売れる、超高級ブランドマーケティング戦略だ。私はエルメスの工場で説明を聞いたことがあるのだが、社員がいかにこのレザーが希有なものか、いかにこの素材がレアなものか、いかに長い間(かばんを買うのに数年間待つ)ウェイトリストで待たなければならないかを再三強調してくる。しかし、あれはきっと単なるマーケティング戦略で、アストンマーチンの限定版を1億円とかで数十台だけ作って、大金持ちの“希少品収集欲”を刺激するのがうまいのだ。
製造業でも、もはや機能とか素材だけではどこの国もいいのを作るので勝負はできず、イタリアの製造業というか、かつての先進国の製造業の未来は、どれだけ“認識された価値”であるブランドを高めるかにかかっていると思う。
たとえば本物のダイヤモンドと人工的に造られたダイヤモンドは成分も同じで、ダイヤモンドの専門家でも見分けが難しいが、その値段に途方もない差をつけるのは“希少性”や“1億年の眠り”といった、精神的価値を高めるブランド投資の賜物だ。今ではヴィトンとかグッチとか、どこの国の中産階級でも買えるようになっていて、昔からあったブランド品が、ステイタスシンボルになりえなくなっている。だからこそ新たなラグジュアリーブランドに機会があり、そこにイタリアの製造業の道があると思う。
ムーギー:ありがとうブルーノ、たいへん面白いお話を聞かせてもらった。私はダイヤモンドやエルメスのバーキンは単に男性から女性への所得移転というか、資産移転のインスツルメントでしかない、などとプラグマティックな考え方をしてきたのだが、言われてみれば確かに、性能や品質でなかなか大きな差はつけられないが、認識上の価値である“ブランド価値”は今後もいくらでも差がつけられるので、商品だけでなくキャリアや自分自身のブランディングに応用もできる、非常に面白い分野だと思う。
親愛なる「東洋経済オンライン」の読者の皆様におかれましても、エルメスのバーキンやアストンマーチン、本当のダイヤモンドの価格の大半は、あなたの頭脳が創り出した(というか各社の巨額のマーケティングに洗脳された)精神的満足度の賜物であり、ブランディング一つで、商品(およびあなた)につけられる価格はケタが2つくらい変わってくるのだ、ということを今後のマーケティング戦略の参考にされてほしい。それではチャオ、よい一日をお過ごし下さい。
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