野球選手に学ぶ、"オリジナル技"の開発法 潮崎哲也はなぜ魔球シンカーを習得できたのか?

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潮崎のシンカーが魔球と言われる理由は、この言葉に潜んでいる。鳴門高校時代にシンカーを習得しようと決意した潮崎は、軌道をイメージすることから始めた。

「センター方向から見て、右に曲がりながら落ちる球を投げたいと思いました。左に曲がる球がカーブだから、その反対をやろう、と」

新技の構想は簡単です

魔球という響きは聞く者に難解なイメージを抱かせがちだが、潮崎の発想は実に単純明快だ。この話を聞いて、元体操選手の田中光(現・流通経済大学教授)にオリジナル技の開発方法をテーマに取材したときのことを思い出した。

1995年世界選手権の団体銀メダルを獲得した田中は、翌年に開催されたアトランタ五輪の平行棒で「TANAKA」というE難度のオリジナル技を発表している(平行棒で倒立した状態から空中に飛び出し、かかえ込みで後方2回宙返りを行い、かつ半回転のひねりを入れ、最後は腕で体を支持する技)。田中によると、新技の構想は簡単だという。

「3回転する技を超えるには、4回転すればいい。4回転、5回転すればいいと考えること自体は、簡単です。だけど、現実的に5回宙返りはできない。人間の体には限界がありますから」

潮崎のシンカーにも、同様の理屈が通る。「カーブの逆」という発想自体はシンプルだが、野球の常識で考えた場合、行うのは容易ではない。しかし、潮崎は躊躇せずに取り組むと、1、2カ月後には習得できたという。

このボールが、潮崎の野球人生を変えた。

鳴門高校に入学した頃、潮崎は特に目立つ投手だったわけではない。高校2年の頃、フォームをスリークオーターからサイドスローに変えたのは、同級生に右のオーバースローから投げるエースがいたからだ。首脳陣から「目先を変える意味で、横でも下からでも投げておけ」と指示されたことが理由だった。

週末になるとダブルヘッダーで練習試合が組まれ、潮崎は「2試合目を消化するためのピッチャーだった」。試合で打たれようが、特に怒られることもない。本職は内野手で、投手としての期待は決して高くなかった。

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