教育困難校には、どんな生徒が来ているのか 「学習意欲なきヤンキー」がすべてを破壊する

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生徒のタイプに合わせた指導ができれば、「教育困難校」での教育成果も向上すると以前から筆者は考えていた。近年は、各地で、第2タイプ、つまり小・中学校での不登校経験者を対象とする新しいタイプの定時制高校や通信制高校が公立・私立ともに新設されている。しかし、私立は高額な費用がかかり、公立はまだまだ数が少ないため、どこでも、入試倍率は決して低くない。そこを落ちた生徒が、やむなく「教育困難校」に進学して来る状況である。

第3タイプ「無気力」の生徒が、どのような高校に進むべきかは、まだ議論が定まっていない。特別支援学校か、あえて普通の高校か、個々の生徒の状況で判断していくしかないのだろう。だが、ざわついた雰囲気で教員たちに余裕のない「教育困難校」が、将来のために彼らの能力を伸ばす場にはなりえないことは断言できる。

高校に進学する必要性が本当にあるのか?

暴論かもしれないが、第1タイプ「ヤンキー」の生徒が高校に進学する必要性が本当にあるのかは疑問だ。ヤンキーになったのには、同情すべき理由がある場合もあるだろう。しかし、まったく学習意欲がない彼らが高校に進学して、自身も周囲も苦痛の時間を過ごすことに意味があるのだろうか。実は、彼らの多くは、問題行動を起こしたことではなく学習面で単位が取れず中退していく。各高校が定めた進級のための出席や成績の条件は、彼らを高校生活から除くふるいとなる。

中退していった彼らの多くは「フリーター」になる。ただ、学歴を重視しない建設業や飲食業、サービス業に就いて真面目に働き、彼らを暖かく育て見守る周囲にも恵まれ、年若くして立派な社会生活を営んでいることも間々ある。そして、20代初めで家庭を持ち、生まれた赤ん坊を抱いて、迷惑をかけた高校にかつての所業を謝りに来ることも少なくないのだ。そんな彼らを見ていると、社会こそ、彼らの「高校」という思いがする。

ビジネスでは、「効率」が重視されるが、教育をすべて「効率」で語る風潮には筆者は異論がある。しかし、こと「教育困難校」の教育に関しては、「効率」的な指導がもっと考えられるべきだと思う。なぜなら、彼らの多くにとって、ここは社会に入る前に、そこで自立できる基礎能力・スキルを学べる最後の場となっているからだ。

しかし、「教育困難校」はまだまだ、混乱の渦中にあるというのが、偽らざる現実だ。

朝比奈 なを 教育ジャーナリスト

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あさひな なを / Nao Asahina

筑波大学大学院教育研究科修了。教育学修士。公立高校の地歴・公民科教諭として約20年間勤務し、教科指導、進路指導、高大接続を研究テーマとする。早期退職後、大学非常勤講師、公立教育センターでの教育相談、高校生・保護者対象の講演等幅広い教育活動に従事。おもな著書に『置き去りにされた高校生たち』(学事出版)、『ルポ教育困難校』『教員という仕事』(ともに朝日新書)などがある。

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