海の森水上競技場には何が埋まっているのか

東京湾に70以上もある人工島の正体

そして1590年に徳川家康が江戸へ入城、1603年には江戸時代が始まります。当時の江戸は見渡すかぎり葦の生え渡る荒涼とした湿地帯で、少しの雨でも川は氾濫し、人が住むにも作物を作るにも適さない荒野だったのです。そこで家康は運河を掘って川の流れを変え、湿地を埋め立て、田畑や人の住める城下町を建設します。鉄道などというものが影も形もなかったその頃、運輸をつかさどるのはなんといっても舟運であり、運河と埋め立ては江戸の流通と経済の根幹をなす一石二鳥の大事業だったのです。

こうして急成長を遂げた江戸ですが、経済が潤い人口が増加すると、一方で困った問題も起きます。ゴミです。人が生活すればゴミが出るのは当然。まして人口が増えればそのぶん量も膨大となります。三代将軍家光の時代になると、江戸にあふれるゴミはすでに社会問題となっていました。そして元禄9年(1696)五代将軍綱吉のとき、そんなゴミや運河を掘ったときに出る土砂を使って、隅田川のほとりの永代島(現在の江東区永代)の埋め立てが始まります。以降、江戸は人口が増えるたびに埋め立てが進み、現在の江東区や中央区のほとんどが、新たな土地として生まれていったのです。

工場や石油コンビナートが建設

さらに近代になると、先に書いた遠浅の海岸が問題を引き起こします。西欧からやって来る巨大船舶が、海が浅すぎて航行できないのです。そこで海底を深くする浚渫(しゅんせつ)という工事が行われ、今度はまたそれによって出る大量の浚渫土を使って近代的な埠頭が造られていきます。そしてこのように立派な港が完成すれば大型の船舶が横付け可能となり、資材や重油も大量に運べるようになるわけで、人工島には工場や石油コンビナートなどが建設されるようになり、日本の工業化はいよいよ躍進するようになります。結果、気がつくと、東京湾岸には70余の人工島が生まれていたというわけです。

所々にごみの地層が露出している

そんな「東京湾諸島」の最先端に位置するのが、冒頭に挙げた中央防波堤です。グーグルマップなどを見てもらえればおわかりのように、ここはどこをどう見ても海に浮かぶ大きな島です。にもかかわらずなぜ「防波堤」と呼ばれているのでしょうか。

東京湾は一見穏やかな内海のように思われがちですが、実は季節風が吹くと海上は荒れて特に小さな船の航行には危険があるため、このように巨大な島の「防波堤」を造り、内側の海を穏やかに保っているのです。そして先に「最先端」と書いたのは、ここが東京都が出すゴミの、最終処分場でもあるからです。

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