「昔のソニー」をありがたがる風潮への違和感 古くて大きな会社に求められる役割を問う

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日本の経済ジャーナリズムの論点は、完全にずれています。昔のソニーは良かった。ああ、そうですか、でおしまい。何を言っているのか。それを言ったら、日立だってアントレプレナーの時代があった。どんな会社も、最初はそうだったのです。

メインプレーヤーが入れ替わらない日本

米国の株式市場で時価総額ランキングを見てみるといい。アップル、グーグル、フェイスブックなど、メインプレーヤーは20年前と大きく入れ替わっています。ヨーロッパだって、入れ替わっています。ところが、日本はどうなのか。

日本の入れ替わらなさは、文字どおり、異常なほどです。いや、入れ替わっていなくても、日本の企業が相変わらず世界で勝っているのであれば、問題はありません。そうじゃないわけです。負けているのです。どんどん「フォーチュン500」から消えているのです。これは、明らかに新陳代謝が起きなかったことが敗因です。

日本発の「グローバルベンチャー」は、実はひとつもない。このことに気づかなければいけません。

今の米国のメインプレーヤーは、そのほとんどが50年前には、影も形もなかった会社だらけになっています。日本では、ソニーやホンダも創業から70年以上が経っている。

歴史をひもといてみれば、わかると思います。20年以上の歴史を持ち、1000人以上の規模を持つ古くて大きな会社がイノベーティブに生まれ変わった、などという事象があるかどうか。あったなら、私は教えてほしい。歴史上、ひとつもないと思います。米国でもないでしょう。

だから、すでに存在している会社にイノベーションを期待することは、ナンセンスだと思います。今、存在している会社は逆に、ゼロからイチをつくるというゲームではなく、シェアを高くして、収益力を高めるゲームを推進していけばいいのです。古くて大きい会社は、古くて大きい会社のゲームをやればいい。

ゼロからイチを作るのは、本質的にはベンチャーの仕事です。ではなぜ、日本にグローバルベンチャー企業が生まれなかったのか? それこそが問われないといけない。要するに、ゼロからベンチャー創出をすべき人が、みんな古くて大きい会社に入っていってしまったからです。

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