村上春樹がノーベル文学賞を取れない理由 そもそも本当にノーベル賞候補なのか?
西脇は翻訳や資料が十分にないという理由で候補から外れ、谷崎は受賞することなく65年に死去し、68年度に川端が受賞した。このとき川端と三島が争ったが、年齢を考慮して川端が推されたという噂がある。日本文学者のドナルド・キーンがノーベル賞に関係する要人から聞いたという話なのだが、真相はむろんわからない(東京新聞連載・「ドナルド・キーンの東京下町日記 ノーベル賞と三島、川端の死」)。
また2009年には、賀川豊彦が1947、48年に候補に上っていたことが判明して文学関係者を驚愕させた。賀川は1920年に自伝的小説『死線を越えて』を出版し、100万部といわれるベストセラーとなったが、文学的価値を認められておらず、顧みられることもほぼないからだ。作家と呼んでいいのかすら微妙な人物で、キリスト教系の運動家だったというほうがたぶん正しい。貧民救済に奔走するヒューマニズムがアカデミーに受けたようだ。ノーベル文学賞はある時期まで人道的な作家や作品を評価する傾向が強かったから、たまたま翻訳があって目に留まった賀川が日本人候補として推されたのだろう。
三島が候補として劣位になった原因として、アカデミーが彼を左翼と見なしたせいもあったらしいと、やはりドナルド・キーンが書き記している。ノーベル文学賞は左右問わず極端に政治的なイデオロギーを嫌う傾向にあるのだ。「三島が左翼だって?」と驚かされるが、事実だとすれば、賀川のノミネートとあわせて、スウェーデン・アカデミーの日本文学理解なんてその程度だったのだという傍証になるだろう。
受賞候補に名が上がり始めたきっかけ
大江健三郎のノーベル賞受賞は1994年のことだ。川端以来26年ぶりで、アカデミーは特定の国に授賞が偏らないよう配慮している気配があるから、25年周期くらいでお鉢が回ってくるのではないかという予想が――当たっているかはさておき――立つ。すると次に日本人作家に授賞されるのは2019年という計算になり、まだちょっと時期尚早ということになる。むろんサンプル数たった1の机上論であって、根拠は情況証拠以外には何もない。
大江の受賞に至るまでには、前回と同様に複数の日本人候補が上がっていたことが推測されるけれど、50年に満たないのでアカデミーからの公表は当然ないし、漏洩的な情報も出ていない。つまりまったくわからない。安部公房、遠藤周作が候補だったという説もあるが、これも薄い情況証拠に基づく憶測にすぎない。
村上春樹がノーベル賞候補になっているとの噂が人々の口の端に上りだしたのは、『海辺のカフカ』(02年)が発表された後のことだ。春樹がチェコのフランツ・カフカ賞を受賞したのは『海辺のカフカ』のチェコ語訳が出た06年で、この賞はどの作品を評価したかを明確にしないが、「チェコ語訳の著作が一つはあること」を候補の条件としている。『海辺のカフカ』のチェコ語訳が出るからカフカ賞の候補になって受賞したのだというダジャレのような推測はそう外れていないと思われる。
カフカ賞はノーベル賞に一番近い賞と言われている。それは、04年、05年と2度、この賞の受賞者がノーベル賞も受賞することが続いたからだ。そのカフカ賞を受賞してしまったがために、以降、春樹は毎年ノーベル賞騒ぎに巻き込まれることになってしまったのである。
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