原発被害の地から「医療の未来」を創り出す 新世代リーダー 原澤慶太郎 南相馬市立総合病院医師

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すると、住民が本音では仮設住宅で予防接種を受けることを望んでいたことがわかった。いわく、「予防接種はぜひしたいけれど、ただでさえ混んでいるので病院に受けにくいのはしんどい。それに手を患わせて申し訳ない」「できることなら、仮設住宅の集会所でやってもらいたい」……。

意を強くした原澤は、市役所との折衝を重ねつつ、協力してくれる医師の確保に奔走した。そして市内のほぼすべてにわたる30人近い仮設住宅の自治会長とも協議を重ね、南相馬市医師会の高橋亨平会長(当時)にも事情を説明した。

すると高橋会長からは反対されるどころか、「よいことだからぜひ頑張ってやってください」と激励の言葉をかけられた。そして亀田総合病院からの寄付で延べ2000人にワクチン接種を実施。インフルエンザや肺炎の流行を防いだ。仮設住宅での予防接種の取り組みは2年目の昨年暮れも続けられた。

原澤が手掛けた活動はその後も広がり続け、現在では13にのぼるプロジェクトが進行中。その中には、ICカードを用いた診療情報の管理など、わが国の最先端を行こうとする取り組みも含まれている。

ボスニア紛争見て医師に、南相馬との思いがけない出会い

「15歳の時にテレビに映るボスニア紛争を見て、外傷外科医を志した」という原澤は、大学を卒業して医師となるや、心臓外科医としてのキャリアを歩んだ。

だが、幼いころから読書が好きで社会の問題に関心を抱いていたことから、地域医療に貢献したいという気持ちも持ち続けていた。研修先の亀田総合病院でも家庭医療のレジデント(後期研修医)として、外来診療と患者宅への往診に従事していたが、南相馬赴任のきっかけは思いがけないところにあった。

亀田総合病院で先輩-後輩の間柄だった坪倉正治医師(31)から、「一度、南相馬の現場を見てもらえませんか」と頼まれたことがきっかけだった。震災から半年もたたない2011年8月のことだった。当時、坪倉はホールボディカウンター導入による内部被曝検診を立ち上げるために南相馬市立病院に赴任していた。

その坪倉からの依頼で、市内の鹿島区にある仮設住宅を訪ねた原澤は、家に閉じこもりきりで何もすることがない高齢男性が多いことを知り、衝撃を受ける。この訪問がきっかけとなって、原澤は南相馬での医療活動に加わることを決意。11年11月の赴任につながった。原澤は千葉県内の自宅を引き払い、南相馬市内の家具もないアパートで一人暮らしの生活を始めた。

次ページ市の担当から「NO」をつきつけられても、あきらめなかった
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