株価高騰の「串カツ田中」、爆走継続への課題 大阪下町のソウルフードが日本を席巻する?
これを可能にしているのが店舗設計の巧みさだ。店舗は1階で、一目でわかる白いテントに「串カツ田中」と書かれた目立つ看板を掲げる。間口を広くし、入りやすい雰囲気を作っている。家賃の安い立地に加え、出店時の初期投資も、2500万円程度に抑えている。
オペレーションも「職人のいらないコックレス」で、徹底して業務の均一化・簡素化を図ってきた。これによって、売り上げが少々落ちても、アルバイトのシフトを組み直すことで人件費のコントロールし、利益を確保する仕組みとなっている。
苦難の連続だった業態開発
ただ、外食業界ではヒット業態がでれば、すぐに追随して類似する業態を展開する同業他社が現れる。その場合、串カツ田中がほぼ手付かずとなっている山手線内側や、まだ手薄なビジネス街、ターミナル駅付近、商業ビルといったエリアが焦点となりそうだ。「既存の競合に加えて来年、再来年には不採算店対策として、串カツに業態転換で参入してくるチェーンも出る」(いちよし経済研究所の主席研究員・鮫島誠一郎氏)。
先行する串カツ田中も手をこまぬいているわけではない。現在、全店舗中で売り上げトップは、数少ない2階の店舗である吉祥寺店だ。貫社長は「マーケットサイズによっては、2階でもやっていけることが検証できた」と実験の狙いを説明する。
スピード上場で脚光を浴びる貫社長だが、これまでは苦難の連続だった。1998年にバーを開業、その後は田中副社長と二人三脚で、大阪と東京でデザイナーズレストランや京懐石料理店などを経営してきた。が、リーマンショックで客足が減り、倒産寸前にまで追い込まれたこともある。
そこで、「やれる範囲やって、最後に華々しく散ろう」と、わずか14坪、24席で始めたのが串カツ田中の1号店だった。前の店舗の内装をほとんど活用、厨房機器はヤフーオークションでそろえた。かかった設備投資はわずか150万円だった。
それが半年後には、店を開ける前から1日で2回転分のお客が行列するほどの大繁盛店になった。それまでの反省を生かし、少額投資での店舗づくり、料理人に頼らない運営、教育の仕組み化など、独自のノウハウを徐々に積み上げていった。
貫社長は「上場してどうかと聞かれても、今は不安しかない。自分の経営は『不安経営』だ」などと慎重な発言を繰り返す。「丸ごと真似されたらどうしよう」「スピード展開しないと他社にやられてしまう」といった危機感をバネに、ここまで会社を成長させてきたという。
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