スウェーデンで自死した難民少年の深刻な背景 アフガニスタン難民のアンサリさん自殺の理由
アンサリさんのスウェーデン滞在が2カ月を超えた昨年10月、手続き開始のため、移民局と面接するはずだった。当時、同国に到着した亡命希望者の数は数カ月で7万人以上に達していた。アンサリさんの後見人となったモハメド・ヤシンさんは、移民局から面接を延期せざるを得ないとする通知を受け取った。そこには新たな面接日は記載されていなかった。
冬が近づき、日照時間が短くなるなか、パリ同時攻撃の容疑者が難民にまぎれてギリシャ経由でフランスに入国していたことが明らかとなった。アンサリさんの友人のなかには、本国に送還しやすくする作戦としてスウェーデン当局が申請手続きを遅らせるかもしれないと心配する人もいたという。
コードレッド
移民センターのクルベルク氏によると、春が近づくにつれ、アンサリさんは欧州の習慣を受け入れ始めた。女性職員からの握手やハグすらも受け入れるようになったという。
しかしまだ移民局の誰とも会えないままでいた。
友人たちによれば、アンサリさんは何時間も自室にこもるようになり、笑顔が消え、学校にも行かなくなり、やせていったという。
センターや地方当局作成の文書によると、医師がアンサリさんの分類を「コードレッド」に変えたのは、3月ごろだった。それは自殺や暴力的・脅迫的行為に及ぶリスク、あるいは脅迫や暴力を受ける恐れがあることを意味する。
4月6日の朝、アンサリさんはようやく移民局と面接できることとなった。アンサリさんと後見人のヤシンさんは南部ベクショーに向かった。到着すると、移民局が間違ってアンサリさんの担当官をマルメに派遣していたことが判明した。ベクショーからマルメまでは、車で2時間以上かかる。移民局は誤解が生じていたとし、新たに面接日を5月3日に設定した。
ヤシンさんは翌日7日、アンサリさんから「具合が良くない」との携帯メッセージを受け取った。そのメッセージは数回送られてきたという。
それから数日後、少年たちは、センターでサッカーの欧州チャンピオンズリーグを一緒にテレビ観戦しようとアンサリさんを誘った。観戦中、職員が投薬のためアンサリさんを呼んだ。クルベルク氏が覚えている限りでは、アンサリさんは自分で自室に行き、職員が薬を持って彼の部屋を訪れたという。
アンサリさんが自殺を図ったのはその日の夜だった。
カールスハムンで、アンサリさんは、アフガニスタンの言葉とアラビア語で名前が刻まれた2人の墓の隣に眠っている。墓地内にある他の墓とは離れた場所だ。その場しのぎの墓石には、彼の名前を記した紙がビニール袋に入れられて貼られていた。
(Sven Nordenstam記者、Benjamin Lesser記者 翻訳:伊藤典子 編集:下郡美紀)
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