丸井は「百貨店」?それとも「カード会社」か? 売り場作りとビジネスモデルを大改革中

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――それが、百貨店型ビジネスモデルから脱却するきっかけとなった?

当社の所有している土地建物の中で、マルイとしては業績悪化で閉鎖したが、売り上げによらずに一定の賃料が入ってくる「不動産方式」で再開したお店が3店舗あった。そのお店がだんだん黒字化してきた。市場環境を見ても、百貨店が厳しい一方で、ショッピングセンターは勢いがあった。

そこで、不動産方式へシフトすることを決心した。この方式なら、稼ぎ頭の衣料品を減らして、粗利の低い商材や飲食を増やしても、利益は確保できるからだ。

――消化仕入れモデルの百貨店は深刻な業績悪化に苦しんでいる。丸井にとっては大きな変化だったのでは?

百貨店から不動産へ変わる、という意識はあまりない。小売業としてお客様のニーズを追求していったら、業態も変化させることになった、というだけ。とても静かな変化だ。

丸井は一体、何の会社なのか?

――一方、過去に2度の最終赤字転落の元凶となったカード事業も、今や営業利益の6割を稼ぎ出すまでに成長している。

私は、取締役のころから「丸井は本業と関連しないキャッシングに参入すべきでなかった」と思っていた。だから、キャッシング事業の過払い金支払いで経営危機に陥ったのは、一種の罰であったとすら思う。

従って、キャッシングの苦戦は本業を活かせる形でカードを伸ばすチャンスだ、と捉えた。2006年には、ショッピングクレジットの「エポスカード」を作った。ありがたいことに、キャッシングの残高がどんどん下がっていくのと同時に、ショッピングがぐんと上がっていき、2014年以降はショッピングが残高も収入も上回るようになった。

青井浩(あおい ひろし)/1961年生まれ。1983年慶應義塾大学文学部卒。仏・米国への留学後、1986年丸井入社。1991年取締役、1995年常務、2004年副社長。2005年より現職(撮影:尾形文繁)

――社長にとっては父親にあたる、忠雄前社長(現名誉会長)はカリスマ的なイメージを持つ。そうした姿を目指すのか。

迫力のある見た目と、事業での大成功があいまって、カリスマのイメージが醸成されたのだと思う。ただ、今はカリスマ経営者だと持続しない。

長期にわたって企業価値を守っていくためには、カリスマが一人で維持するのではなくて、経営陣を作っていかなくてはならない。しかも、全員が同じビジョンを共有していかないと。そこだけ共有できれば人材は多様でいい。私の使命は、社長として(同族経営とは)違う体制にしていくための橋渡しだと思っている。

――百貨店からショッピングセンターへ転換し、利益の過半はカードが稼ぐ。丸井は一体、何の会社なのか。

金融からは、丸井なんて金融ではないと言われ、百貨店からは百貨店ではないと言われる(笑)。まるで、イソップ童話に出てくるコウモリのようだ。ただ、金融業界はそれなりに行き詰まっていて、百貨店も2000年代以降に再編の嵐が吹き荒れ、市場縮小に歯止めがかからない。よい意味での「どっちつかず」さが、今まで単独で生き残ってきた秘訣かもしれない。

印南 志帆 東洋経済 記者

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いんなみ しほ / Shiho Innami

早稲田大学大学院卒業後、東洋経済新報社に入社。流通・小売業界、総合電機業界などの担当記者、「東洋経済オンライン」編集部などを経て、現在は『週刊東洋経済』の巻頭特集を担当。過去に手がけた特集に「半導体 止まらぬ熱狂」「女性を伸ばす会社 潰す会社」「製薬 サバイバル」などがある。私生活では平安時代の歴史が好き。1児の親。

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