また、こうした賃金原資の限界を前提とした議論に対してよくいわれるのが、「企業は内部留保を取り崩せば非正規雇用対策ができる」といった反論です。「企業の業績は好調なのに、なかなか待遇が改善されない。それは企業が利益(内部留保)をため込んでいるからだ」という主張は、正直に申し上げて、まったくもっておかしな議論です。
そもそも、日本の名目GDPはおよそ500兆円、労働分配率がおよそ70%であるとして、賃金原資の総額はざっくりいって500×70%=350兆円です。一方で、日本企業の内部留保は361.5兆円ほどですので、ほぼ1年分の賃金原資相当額しかないのが現状です。これを「吐き出した」場合、翌年以降はどうするのでしょうか。もちろん、「賃金を上げるべき」というのは政権も要請しているところであり、これが実現することは好ましいことです。しかし、「内部留保があるから大丈夫」という短期的発想ではなく、現実を踏まえた議論をする必要があります。
さらにいえば、「内部留保」とは現金ではありません。設備投資であり、工場であり、営業車であり、保有株式、つまり、未来の事業活動に必要な資産なのです。これを売却しておカネにするということは、「今がよければ将来はどうでもよい」ということであり、まさに「タコが自分の足を食べる」状態といえるでしょう。このように、「内部留保を取り崩して」一時的に非正規を正社員にして賃金水準を上げたとしても、持続可能性がありません(しかも、労働法の規制により一度上げた賃金はなかなか下げられません)。
定年間近な人に都合のよい論理
賃金アップに必要な内部留保が毎年3%程度であるとしても、いずれ枯渇します。しかも、将来の事業継続・拡大を犠牲にするということも、忘れてはいけません。来年、定年を迎える人にとってはそれでよいのでしょうが、内部留保を取り崩して成長できない会社にいる若者はどうしたらよいのでしょうか。企業の実情に応じてある程度、給与水準を上げるべきということであればわかりますが、「企業は内部留保をため込んでいるから全員正社員にできるはずだ」などという現実を見ない前提であっては、議論にすらなりません。
非正規問題を解決するべく、厚生労働省はさまざまな対策を講じています。近年の例でいえば、偽装請負・日雇い派遣への対策、派遣法改正、労働契約法改正による無期労働契約転換権の付与などが挙げられます。しかし残念ながら、これらの対策が功を奏しているとはいえませんし、今後もうまくいかないでしょう。なぜなら、これらはいずれも場当たり的対策であって、根本的な対策ではないからです。
そもそも非正規雇用「だけ」の問題としてとらえるのが間違っているのです。では、本当の意味での非正規労働者対策とは何か? それは、雇用全体の問題、つまり「正社員」の問題として捉えることです。非正規雇用は正社員の影、表裏一体の存在なのです。強すぎる正社員の保護と比べて、あまりに弱い非正規雇用者の保護。このアンバランスさが問題の本質です。一度正社員を雇うとなかなかクビにできない。だから非正規雇用が活用されるのです。
筆者としては、安易に「正社員をなくせ」とか、「労働者の使い捨てだ」、「正社員が派遣社員に置き換わる」など、表面的な議論をするつもりはありません。日本型雇用の本質に切り込んだ議論が活発になることを願って、本稿をつづってみました。次回は、日本型雇用の特徴から「正社員」の本質について考えてみたいと思います。
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