一流を目指す人が「人と食事に行かない」ワケ 格闘家・青木真也の「搾取されない生き方」
“朱に交われば赤くなる”という言葉があるように、人間は良くも悪くも身を置いている環境に慣れてしまう。目標の高さや金銭感覚など、いつの間にか自分本来の考え方が狂ってしまわないためにも、僕は自分自身に課しているルールがある。
それは、人と食事に行かないことだ。
格闘技界では、練習後の食事までがひとつのセットと考えられている。「メシ食いに行こう」と誘われることも多い。しかし、一度でも食事をともにしてしまえば、それは馴れ合いの第一歩となる。大人数での食事ともなれば、必ず様々な会話が生まれ、周囲の意見に流される場面も出てくるはずだ。その流れに乗らないために、僕は練習後に誘われても、必ず断ることにしている。
当然、相手は感じ悪く思っているだろうが、そこで後ろめたさや罪悪感を覚える必要はない。食事に誘われれば、「すみません。申し訳ありませんが、僕は帰ります」と明確な意思表示をすることが大事だ。「練習までは一緒にやる。ただ、それ以上は踏み込んでくるな」という一線を引き、相手にはっきりとわからせなければならない。
下手な言い訳をする必要はない。2度、3度断れば「アイツはメシに行かないから」と、誘われなくなり、食事以外の場面でも“NO”と言える雰囲気をつくり出すことにもつながる。必然的に群れることもなくなっていく。
結局、格闘技には練習以上のコミュニケーションはないのだ。たとえ後ろ指をさされようとも、僕にとって必要なのは“仲間”ではなく、格闘技界に染まらないための“孤独”と言える。
他人とご飯を食べて馴れ合っているような人間は、一流にはなれないのではないだろうか。
欲が散らかっている人間は、何も手にできない
はっきり言えば、格闘技界は恵まれていない業界だ。周りからも「格闘技はお金にならないんでしょ」と言われることがよくある。実際にほとんどの選手は、ジムでのレッスン料や、アルバイトで生計を立てながら格闘技を続けている。
テレビの選手紹介などでは、格闘技を続けるためにアルバイト生活を送っていることが、美談として扱われることが多い。日中は建設現場でバイトをして、夜はジムに通う。「やりたいことをやるために生活を犠牲にする」というストーリーは、一見すると美しいかもしれない。しかし、実際はただの“逃げ”でしかない。
そもそも、彼らがどれだけの気持ちで格闘技に取り組んでいるか甚だ疑問だ。アルバイトと並行して活動しているようなファイターが、自動販売機でドリンクを購入している姿を目にしたり、女の子と遊びに出かけた話を聞くと、片手間で格闘技をしているようにしか思えない。
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