2015年7月下旬、「9坪タイプ」のコンテナ1棟からフルサットは歩き始めた。最初に建ったのは事務所兼オフィス棟。当時のプロモーション動画を見ると、「ご近所のお茶飲み場にも利用できます」という字幕が浮かび、当初からビジネスマンや旅行者だけでなく、地元の人を強く意識していたことがわかる。
観光施設としての正式オープンは2016年の6月17日。やがて、構想に沿い、扇形にコンテナ群を増設していった。テナントは土産品店、地元で有名なラーメン店の二号店、居酒屋、コンテナ屋台など。8月初めにはスイーツカフェもオープンし、日を追うごとに賑わいを増している。
コンテナの間には屋根をかけ、広場状のスペースもつくりあげた。豪雪地帯・上越で発達した日本流のアーケード「雁木(がんぎ)」の精神を生かし、コンテナの間の空間を外部の人と共有する姿を目指した。同時に、冬には豪雪と戦うのではなく、あえて「かまくらのように雪に埋もれる」道を選び、雪とともに生きる暮らしの魅力を探すのだという。
建築面のさまざまな規制をクリアしつつ初期投資を抑え、地元の風土を反映させたおしゃれな空間を実現するため、構造的にも工夫を凝らした。「明日は40人ほどのビアガーデンの予約が入っています。上越市の人だけでなく、南隣の妙高市の人も通ってくれるようになりました」と平原さん。話すうち、自転車を押した女性がテーブルの横を通り過ぎた。「地元の人が、通路代わりに使っています。何となく、通り抜けたくなる空間になったみたいで…」。平原さんの顔がほころぶ。
資金はクラウドファンディングで
オープンへの歩みは平坦ではなかった。
平原さんは上越妙高駅が建つ脇野田地区の出身だ。父は上越市の交通・工業の中心である直江津地区、母は同じく商業・文化の中心である高田地区に生まれた。家族の血に、上越市のエッセンスが詰まっていると言ってよい。
建設業を営んでいた父が、北陸新幹線の構想浮上後、「ここに新幹線駅ができるから」と、脇野田地区へ引っ越したという。平原さんは物心ついた頃から「新幹線」を意識して育った。芝浦工業大学で大学院まで建築史を学んだ後、恩師の勧めで佐渡へ渡り、古民家の研究や観光・地域振興、NPO法人活動に携わった。
この経歴を生かそうと2012年夏、北陸新幹線開業をにらんで上越市へ戻った。しかし、地元の動きは鈍かった。そこで、同年11月に意を決して会社を設立。高校の先輩に当たる建築家・中野一敏氏らとともに、2013年春、フルサットのプロジェクトを始動させた。
だが、コンテナで新たな場をつくる、というコンセプトは地元になかなか理解されず、資金調達も難航して、2015年3月の北陸新幹線開業には間に合わなかった。そこで、行政の補助金などに頼らない方針に切り替え、クラウドファンディングなども活用して資金を確保し、今年6月のオープンにこぎ着けた。さまざまな制約の中で、新幹線開業に関しては、地元のパイオニア的な起業活動となった。
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