広告ができるのは「たった2つのこと」だけだ 感情に訴える以外は効かない
──どのようにして、クリエイティブの仕事を身につけていったのですか?
日本国内では相手にされていませんでしたので、海外のクライアントや制作者たちから学びました。
設立したばかりで暇を持て余していたときに、電通役員の指示で、勉強会の講師をするために韓国にいきました。行ってから知ったのですが、勉強会の相手は、とある世界的な電気メーカーの社長さんでした。
当時流行り始めていたブランデッド・コンテンツの話をしたんです。「BMW FILMS.COM」という世界初の本格的なブランデッド・コンテンツのキャンペーンが大成功したばかりで注目されていました。通常はキャンペーン費用の8割くらいをメディア予算に投じ、2割くらいを制作費に、という配分になることが多いのですが、BMWは「インターネット上にみんなが自分で見に来るようなコンテンツをつくればメディア予算は不要なのでは?」という大胆な仮説を立てて、キャンペーン予算のすべてを制作費に投じるという奇策に出たのです。具体的には、ガイ・リッチー、ウォン・カーウァイといった監督がBMWのクルマが登場する『The Hire』というショートフィルムシリーズを競作するというキャンペーンでした。
9億円あればカタチにします
それらを見た社長が「うちでも作りたい。原野さん、このBMWのシリーズの予算はいくらですか?」と聞いてきたので、「18億円です」と答えました。「そこまでは出せない。原野さんだったらいくらでできますか?」と再び聞かれたので、「クオリティと予算は比例しますが……」なんてもっともらしいことを言いながら(笑)、「9億円あればカタチにします」と申し上げました。実際、9億あったら、大抵のことはできるでしょう(笑)。
そうしたら、社長から「6億で」と言われました。びっくりしました。「なんとかやってみましょう」なんて答えながら、心の中ではガッツポーズをしていましたね。
というわけで、僕がクリエイティブディレクターとして最初にした仕事の制作費は、6億円だったんです(笑)。当時僕は日本ではまったく無名でしたが、韓国ではそのことは知られていなかったようです。「電通が社長の講師として派遣してきたのだからおそらくすごいクリエイティブなのだろう」という風に勝手に想像してくれていたのだと思います。事故のような話です。
6億円の予算を獲得して帰国しましたが、僕自身にはバナー広告を除いて何もつくった経験がありません。そこで、これは「学び」だと割り切り、僕はプロデューサーに徹して、世界中の優秀なタレントに仕事をしてもらう、というやり方を選びました。むしろこれをチャンスにしようと思ったわけです。どうやって企画するのか、どうやってプレゼンするのか、どのように見積もりを書くのか、全部見せてもらおうと思いました。ロンドンの最先端のメディアプランニング会社、ニューヨークで一番イキのいいクリエイティブ・ブティック、ハリウッドの映画製作会社の3社に発注して、仕事のフレームを作ったのです。
僕は出てきた案をまとめて、社長にプレゼンに行くだけでしたが、あらゆることをそのプロセスから学ぶことができました。地雷という地雷もすべて踏みましたが(笑)。
日本のクリエイティブの現場では、大切な部分は「暗算」という感じになっていて、何をどうしたらいいのか、があまり明文化、体系化されていないような気がします。勘の良い人が、勘の良い人の下につくことで、伝承的に後継者が生まれるという仕組みです。