背景の一つとして考えられるのが、近年の好調な経営実績だ。過去10年間の連結決算を見てみると、純利益は過去最高となった2008年度(134億800万円)をピークに減少が続き、東日本大震災の影響が大きかった2011年度には41億1900万円まで落ち込んだが、その後は回復基調となり、2014年度は107億7500万円まで持ち直している。
2015年度も、訪日外国人客の増加により空港線の利用者が増えるなどして好調に推移し、2015年11月に発表した業績予想では、純利益が過去最高益の2008年度に迫る130億円としていた。そこで、経営が好調な今のうちに、再開のめどが立たない延伸計画を「整理」しておこうとの意識が働いたのではないだろうか。
50年前にも「含み」持たせて廃止
ちなみに、三浦半島には久里浜線の延伸計画のほかにも、幻に終わった京急の鉄道路線が多い。半島西岸の林地区から東に進み、JR横須賀線の衣笠駅付近までを結ぶ計画だった武山線も、その一つだ。
武山線は東急時代の1944年12月、地方鉄道免許を受けて着工。久里浜線と同様、軍事色の強い路線で、林地区にある海軍施設への通勤輸送などを目的としていた。しかし、路盤が一部完成したところで終戦の日を迎え、工事は中断。戦後は京急が計画を引き継いだものの、結局は1966年2月1日付で事業廃止が許可された。
国立公文書館が所蔵している武山線の廃止許可申請書(1965年12月25日)で京急が主張しているところによると、終戦後は既設線の戦災復旧に忙殺され、工事を再開する余裕がなかったという。
復旧が一段落した1955年以降も品川~泉岳寺間の都心乗入線や久里浜線延伸の工事に全力を注いでおり、「工事再開の見通しがつきませんので、はなはだ遺憾に存じますが、一応起業を廃止しようとするものです」としている。
さらに、申請書で京急は以下のように続けている。
京急は50年前に武山線の事業廃止を申請したときも、計画再開の「含み」を持たせていたのだ。そして結局、再開されることなく幻の鉄路と化している。まさに「歴史は繰り返す」といったところだろうか。
(写真はすべて筆者撮影)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら