JR東日本特急から「自由席」が消えているワケ 「全指定席」化で車内改札などコスト高縮減へ
ただ、その頃の国鉄は、需要に対し慢性的に輸送力が不足しており、一種の輸送調整の意味もあって、すぐ新幹線・特急列車でも自由席を設ける例が頻出するようになる。
先がけの一つが1964年の年末年始に「こだま」に設定されたもの。特急料金も100円割り引かれた。要するに「座席の定員以上、利用者が殺到してもいいように」という意図が透けて見えた、逆に言えばやむを得ない施策であった。
その後、快適性と速達性を求める利用者に応じ、急行の特急への格上げが相次ぐ。そして特急でも停車駅を増やして、かつての急行の役割を肩代わりするものが目立つようになった。1970年代には頻繁運転と自由席設置を謳い文句とし、「気軽に乗れる」とPRした「エル特急」が全国を走り回るようになる。この傾向は国鉄が分割民営化されても同じで、今にまで続いている。
「指定が面倒」だから自由席?
では、なぜ現在に至るまで、座席の保証がない自由席が存続しているのであろうか。
まず考えられるのが、特急券購入の面倒さである。指定席だと、最終的に自分で日時、列車を決めて「みどりの窓口」で申し込まなければならない。自由席だと深く考えずにすぐ買え、乗車区間を走るどの列車に乗ってもよい。そんな需要に応じるかのように、国鉄から民営化されたJRになっても、その受け身の姿勢が続いた。
ただ、その弊害として生じたのが、自由席特急券の車内発売の多さである。1970年代から列車追跡ルポなどでもしばしば指摘されてきたことだが、混雑していると時間がかかる。並ぶのが嫌だなどという理由で、乗車前に窓口に立ち寄ることを避け、発車後の車内で特急券(時には乗車券も)を求める利用者が、特に首都圏において、跡を絶たない有り様に陥っていたのだ。
そういう人が座席を確保するため、早々にホームの乗車位置に列を作って待つという矛盾もあった。国鉄の「気軽に」という施策が裏目に出てしまった形である。
これにより車掌の車内改札が遅々として進ず、正直者が何とやらで、予め特急券を用意した人には、いささか迷惑とも感じられていた。また、発券業務に忙殺されて改札が行き届かず、不公平にも当たる、特急料金の取り漏らしが多々発生していたと聞く。
利用者側にも言い分はあろうが、列車の乗車前に所定のきっぷを購入しなければならないことは、鉄道営業法にも定めがある、社会のルールだ。「きっぷは目的地まで、正しくお求めください」というPRが行われること自体、いかにルール違反が横行していたかを表している。
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