「天皇の生前退位」知っておきたい基本の基本 「なるほど、そういうことか!」Q&Aで解説
Q7. 退位した後は、どうなるのですか?
退位した天皇は「太上天皇(だいじょうてんのう)」となります。
一般に「上皇(じょうこう)」と呼ばれるのは、この「太上天皇」の略称です。また、上皇は出家して剃髪すると「法皇(ほうおう)」と呼ばれます。出家した上皇は35人です。
Q8. 上皇になると、政治からも引退したのでしょうか?
政治から手を引いた上皇もいましたが、天皇でいたときよりもさらに大きな権力を行使した上皇もいました。その代表例が「院政」です。
Q9. 「院政」は誰が始めたのですか?
実質的な「院政」を始めたのは、平安時代後期、第72代の「白河天皇」です。
1086年、33歳で子の「堀河天皇」に天皇の位を譲って(「譲位」といいます)上皇となり、「院政」を始めました。
堀河天皇はそのとき8歳。白河上皇はその後見役として、強大な権力を持つようになります。
院政で有名なのは「後白河上皇(法皇)」
Q10. 「院政」といえば、「後白河上皇(法皇)」が有名ですよね?
そのとおりです。白河上皇(法皇)の院政が終わってから約30年後の1158年、わずか3年で天皇の位を退いた「後白河上皇」が院政を始めます。
その後、20年以上も院政を行い、平清盛や源頼朝らを翻弄したことでも知られています。頼朝は法皇を「日本国第一之大天狗」と称したほどです。
Q11.「退位した天皇」は必ず「院政」をしたのですか?
いいえ、そうとは限りません。上皇となったのは約60人ですが、院政を行ったのは、政治的な実権のなかった後の時代までを含めても26人でした。
Q12. 天皇が「生前退位」して問題になったことはないのですか?
「院政」は天皇が自分の政治的な理由で譲位するものですが、江戸時代には幕府のやり方に怒って天皇をやめてしまった「譲位事件」もありました。朝廷と幕府の間が険悪になった大事件です。
Q13.それは「紫衣(しえ)事件」と呼ばれているものですよね?
そうです。簡単にいえば、朝廷の権限を幕府に取り上げられた「後水尾(ごみずのお)天皇」が、これに抗議して生前退位、娘の「明正(めいしょう)天皇」に譲位してしまった事件です。
Q14. もう少し「紫衣事件」について説明いただけますか?
僧侶が着衣する最高位の衣である「紫衣(しえ)」を授ける権限は、古くから「朝廷(天皇)」が持っていました。しかし江戸時代になると、この権限に「幕府」が干渉してくるようになります。
1627年、幕府が大徳寺ほかの僧侶への「紫衣勅許」を違反として不許可にすると、僧らはこれに抗議。幕府は彼らを流罪にしました。後水尾天皇がこれに反発して退位したというのが事件の流れです。
「江戸時代初期の、朝廷と幕府の間の最大の対立事件」といわれているのが紫衣事件です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら