「当時09年ですと、年商2000万円、月200万売れるかどうかぐらい。生産が月に3回しかないような、正直ひどい状況だった」
開発側ではおいしい商品を作ったという自負があるのに、コンビニチェーンで試験販売をすると、鳴かず飛ばずの状況が続く。社内の圧力は一段と高まり、ベジップスはいつまでも正式に発売されない「幻の商品」といわれる。柚木は悩んでいた。
さらに追い打ちをかけるように、09年8月、マーケティングの担当者が病気で抜けるというアクシデントが重なる。ベジップスのマーケティング自体が、約半年も止まるという事態に陥り、「正直、これで終わりだ」と思ったこともあったという。
しかし、柚木は決してあきらめなかった。開発を続ける傍ら、自らまったく経験のない営業やマーケティング活動を1人で始めたのだ。
この逆境が、ベジップスのターニングポイントとなる。柚木は当時のマーケティング本部長、山崎裕章(現カルビー執行役員、マーケティング本部長)の下へ、直談判に向かう。
山崎はあの人気商品「じゃがりこ」の生みの親。開発畑を歩んだ後、マーケティングに移った、まさに当時の柚木と同じようなキャリアを歩んできた人物。柚木は山崎に頼んだ。
「『何とかしてください。いっそ、ダメならやめさせてくれ』と言ったんですよ。そしたら、『開発でいちばん思いの強いお前が最後、情熱を持って突破してこい』と言われて、東京のマーケティング本部に呼び出された」
10年3月、「1年間で結果が出せなかったら(ベジップスは)終了する」という条件で、柚木は東京本社のマーケティング本部に正式に異動となる。4人いたベジップスの開発チームは解散となり、代わりに入ったメンバーが1人と、マーケティング担当の柚木2人だけの体制となった。
そこから先の柚木は、「とにかく、ひたすらベジップスを売りに行った」。山崎に言われたとおり、売り込みや、商談、営業所回りに行くたびに、柚木はベジップスへの熱い想いを伝えた。
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