さて、このエッセイの最後に、この国民投票の結果が何を意味するのか、含意を検討しよう。冒頭に述べたように、ここでは今後については包括的には考察しないが、起きたことを総括して位置付けるのは、今後を占ううえでも大事なことかと思う。
今回のイギリス国民投票は、直接的には、〈移民=EU=グローバル化〉を介して高揚したナショナル・アイデンティティと主権=自決意識が、EUのメンバーシップに向けられたものといえよう。こうした〈ナショナリズム=民主主義=国家主権〉の「三位一体」を乗り越える正統性はEUにはない。それは、民衆の直接選挙による欧州議会を抱えているものの、投票率は欧州議会の権限の増強に反比例して低落傾向にあり、民主的正統性は極めて脆弱である。
EUは国家でなく、将来においても国家にならない。その主人はいまだ加盟国であり、加盟国の国民(多数派)が背を向け、その意向を民主主義的に表現されたら、それを止めるすべはない。今も昔も今後も、である。それほどに、主権的な意思の(民主的な)発露は、破壊力のあるものである。その「大爆発の瞬間」を、われわれは目撃したばかりだ。
その手の「小爆発」は、しばしば見られた。1992年にデンマークがマーストリヒト条約の批准を国民投票で拒否したとき、2005年に仏蘭国民投票が欧州憲法条約を否定したときなどがその例に当たる。そのたびに、EUはしばし麻痺した。今回は、加盟に白黒つけるものであり、域内第2位の経済体が、国民投票でEU離脱を決めたのだ。スケールが異なる。
EUの「崩壊」と「存続」の線引きはどこにあるのか
イギリス国内においては、すでにEUとその立法・規制が国の一部になっていた。これから「すでに身体化した一部」を切り離す作業は容易ではない。投票行動のねじれが、政党指導部と草の根の人びとのあいだの乖離、イングランドとスコットランドの溝、その他世代、学歴、階層を隔てたさまざまな亀裂をふたたび際立たせている。
今後、この国はのたうち回るだろう。これまで見ていた連合王国のイメージはとりあえず捨てて、これからどうなっていくのか、注視しなければならない。
EUもまた、大変なダメージを受けている。このスケールほどの衝撃を単独国で作り出せなくとも、先に述べた〈ナショナリズム=民主主義=国家主権〉の三位一体は、どこの加盟国でも発露しうる。それが複数重なれば、EUはさらに蝕まれていくことになろう。
その行きつく先をここで占えはしないが、EUが崩壊するかどうかは、中枢国、とりわけ独仏の民主主義の在り方にかかっているだろう。そこが反EU政党に何らかの形で乗っ取られるようなことになり、EU支持が少数となって政権や予算が成立しないとなると、ちまたの言説でいうEUの「崩壊」「瓦解」を本当に語らなければならない。
しかし裏返して言えば、そのボトムラインが底抜けしない限り、EUは生き残り、再編を志向することになる。その再編がどのような規模で、いかなる形を取るのかもまた、目を凝らしてみていかねばならない。
より広い意味で言えば、グローバル化によって、雇用が不安定化し、生活が向上しない(のに、政治家を含め誰もその問題に見向きもしない)と考えている広範な勤労者・労働者層に対して、広範なインフラ整備から給料のような形の価値付与まで、本腰で取り組まないと、この手のバックラッシュ(反動)は、どの国でも起きうる現象だということになろう。
超大国のアメリカで、だれも予想しなかった左右両極化が起き、トランプやサンダースのような候補が躍進する時代である。いずれの国にも、小トランプ(イギリスの場合、前出のファラージュかジョンソンか)、小サンダース(同様にコービンか)が散見され、政治的に穏健な中道が陥没する。その意味において、今回のイギリス国民投票は、対岸の火事ではない。これは、いそぎ自らの社会を点検すべきよい機会を提供するのではなかろうか。(第2回=後編は6月末から7月初旬の予定です)
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