(第41回)<弘兼憲史さん・中編>合理的な行動で成功を重ねる

●就職活動も合理的に

 手塚治虫さんに憧れ、小学校の頃は漫画家になりたかったのですが、中学以降は新聞記者、マスコミ関係の職業に憧れていました。大学のときは、コピーライターを目指していました。
当時、広告代理店などマスコミの就職試験は7月くらいでした。金融機関はいわゆる「青田買い」といって3、4月くらい、メーカーは5月採用だったと思います。
私は松下電器産業に入社することに決めました。なぜ松下を選んだかというと、宣伝に強い3つのメーカー、サントリー、松下電器、資生堂に照準を当てて就活をしたのですが、一番最初に受けた松下から採用通知がきたからです。だから試験を受けたのは松下一社で、あとはどこも受けていません。
 八百数十人、同期で入社しました。そのうち理科系が半分。僕の行きたい部署は本社の宣伝部で、そこには毎年1人か2人しか入れないので大変でしたが、なんとか潜り込むことに成功しました。せっかく入ったのに、3年で辞めちゃいましたけどね。

●30歳までと期限を決め、結果を出す。

 僕はプラス思考ですから、漫画に関しては何も実績がないのに会社を辞めました。辞めて初めて作品を描いて、コンクールに応募、入賞しました。
 なぜ、独立しようと決めたかというと、宣伝の仕事をしていると、プロのイラストレーターやクリエイターと触れていますが、自分にはそっちの方が向いていると思うわけです。会社の宣伝部というのは、ディレクターですから、「ああしろ、こうしろ」と注文をつけるだけ。たとえば、ルーペでのぞいて「赤をもう少し強くしろ」とか、印刷にケチをつけたり、自分では直接作業しません。僕は写真を撮ったり、イラストを描いたり、手仕事がしたいわけです。それなら辞めるしかないな、と。会社に入ってそういう人とつきあっているうちに、フリーのほうがいいと思うようになりました。さらに、非常にプラス思考なので、あいつらがやれるなら俺にもやれる!なんてね(笑)。

 25歳で会社を辞めました。30歳までに自分の描いたものがひとつも印刷されなかったらもう向いていないだろうということで、漫画家の道はきっぱりあきらめる。そのときはデザイン会社を経営しようと思っていました。デザイン会社の経営ノウハウは、3年間デザイン会社と仕事をしていたからだいたいわかるわけです。
 イラストレーターの仕事をしている時に、初めて描いた漫画が入選しました。僕は慎重な面もあるので、一回の入選だけじゃ不安で、そのあと3回応募し、合計4回応募して3回入選したときに、少しずつイラストの仕事やフリーのディレクターの仕事を減らし、漫画の読み切りを描くようになりました。この時にちょっと収入が落ちたかなということがありましたが、社会人、フリー、漫画家と収入は右肩上がりでした。そのあたりのマネジメントって、結構うまいかもしれません(笑)。やはり、中小企業の経営者が向いているのでしょうね。
小さな問題はたくさんありましたが、大きな意味で切り替えがうまくいかなかったことはないですね。
(後編へ続く)

(取材:田畑則子、撮影:戸澤裕司


弘兼憲史(ひろかね・けんし)
山口県岩国市出身。1947年生まれ。漫画家。
早稲田大学法学部卒。松下電器産業入社。広告宣伝部に勤務の後、漫画家としてデビュー。課長からスタートした『島耕作』シリーズや、中高年の恋愛を描いた『黄昏流星群』など数々の作品を執筆し、漫画賞を受賞。ラジオ番組のコメンテイターを務めるなど、多彩な才能を発揮し活躍。
2007年紫綬褒章受章。
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