米兵に暴行された豪人女性、悲痛の実名告白 神奈川・横須賀市であった事件に今も苦しむ
シンザト容疑者が勤務していた米空軍嘉手納基地前でも25日、緊急抗議集会が開かれ、約4000人が黙禱した。
海軍を名誉除隊になった加害者は米国へ帰国
'15年に自身の経験と闘いの記録を収めた『涙のあとは乾く』(講談社)を出版したキャサリンさんも、米兵の欲望のために人生が歪められた。'80年代に来日し沖縄出身の日本人と結婚。3人の息子にも恵まれた(夫とは離婚)。
被害に遭ったのは'02年4月、横須賀市の飲食店で待ち合わせ中、見知らぬ米兵に飲み物に薬を盛られ、抵抗もむなしく自車内でレイプされた。
「自力で神奈川県警に通報したが、事情聴取ではからかわれながら尋問され、病院に行きたいという懇願も却下。7時間、飲食もさせてもらえず下着も身につけない状態で14時間も拘束されました。レイプテストキットもなく、レイプの物的証拠を残させてもらえなかった。あれは“セカンドレイプ”でした」
強姦された自分のバンを運転して帰り3人の子どものため仕事も休めない状態……。ところが、検察は加害者を嫌疑不十分として不起訴に。そこでキャサリンさんは、加害者に対する民事訴訟を東京地裁に起こし、'04年11月、300万円の支払いを命じる判決を勝ち取った。その最中、海軍を名誉除隊になった加害者は米国へ帰国し、支払いから逃げようとしたという。
事件以来、キャサリンさんは「魂が殺されていくような感覚」に襲われ続けた。
「毎日のように泣いて泣いて……感情が制御できなかった。本当に地獄だったの。いつも悲しくて怖くて、ひどいPTSDを発症し、レイプの場面が何度も目に浮かんで吐き気とめまいがして息苦しくなって。パニックになって悪夢もたくさん見ました。母親にすら触られたくなかった。誰とも食事をせず、摂食障害になり、すごくやせました」
生々しい後遺症を話す。
誰にも言えずに苦しんでいる人たちがいる
'08年、キャサリンさんは沖縄で初めて、レイプ被害についてスピーチした。
「会場で“私も被害者なんです”と打ち明ける人が必ずいる。誰にも言えずに苦しんでいる人がどんなに多いか……。沖縄でも、50年間、誰にも言えずに苦しんできた70代のおばあちゃんに出会いました。これまでのすべての被害者と未来の子どもたちのためにも、レイプ被害を根絶することが私の目的です」
キャサリンさんは加害者の逃亡後、自力で居場所を突き止め、米国で日本での裁判の判決承認を求める裁判を起こし、'13年10月、勝訴した。目下の展望は、来年1月までに、全国に『24時間被害者支援センター』を作ることだ。