『北のカナリアたち』 ―時間の価値とアンチエイジング―

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筆者がこの映画を見て感じたのは、ストーリーや自然の美しささることながら、なによりも印象的なのは吉永小百合の若さである。彼女は1945年3月13日生まれの67歳である。CM等で水泳をしていたり、ヨーグルトを食べていたりと健康に気を使っているのは知っていたが、67歳とは意識しなかった。

健康管理に気を使う人は多いが、「アンチエイジング」にも気を使う人が増えてきて、流行語のようになっている。健康でかつ美しく生きられるのならば、それは素晴らしいことである。

アンチエイジ、すなわち、「歳を取らない」ということは、始皇帝をはじめとした人類の永遠の願いでもある。しかし、逆説的であるが、歳をとるということ、すなわち時間の有限性こそ、人生を豊かにできる可能性が合うのではと思う。無限に生きられるということになると、時限性というものが亡くなり、逆になにも努力しなくなるのではないか。

筆者の専門の一つに企業戦略がある。経営資源には人・モノ・カネ・情報・時間がある。この中で最も大事なものは「時間」と考えている。時間は買うことができないからだ。

たびたび両親から「命を大切に」といわれることがある。もちろん、事故にあわないこととか、病気にならないことは当たり前のことである。しかし、自分でマネージできる「命」はとは何かと考えた場合、一年、一日、一時間といった「時間」となる。すなわち、この時間をしっかり生きることが「命を大切に」の意味ではないか。

またこの世は不平等なものも多い。家が裕福とか、貧乏とか、カッコいいとかカッコよくないとか。しかし、この「時間」だけは、平等に与えられたものである。その時間を無駄にしないで生きることが大事と考えられないか。すなわち、集中して一生懸命生きるということが最も大事なのではないかと考える。

それは、個人に限ったことではなく、(筆者は講義でそのように説明するが)「企業」も「経済」も一緒であるのではいかと思う。なにもしないで、だらだらするのは意味もなく、最も良くない。

アンチエイジングは、最盛期の延長と考えられる。そういう意味で命や人生には限りがあるが、だからこそ、より深みを増すのではないだろうか。

公開日11月3日

宿輪 純一 帝京大学経済学部教授・博士(経済学)

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しゅくわ じゅんいち / Junichi Shukuwa

帝京大学経済学部教授・博士(経済学)。1963年生まれ。麻布高校・慶應義塾大学経済学部卒。富士銀行、三和銀行、三菱東京UFJ銀行を経て、2015年より現職。2003年から兼務で東大大学院、早大、慶大等で非常勤講師。財務省・金融庁・経産省・外務省、全銀協等の委員会参加。主な著書に『通貨経済学入門(第2版)』『アジア金融システムの経済学』(日本経済新聞出版社)、『決済インフラ入門〔2020年版〕』(東洋経済新報社)、『円安vs.円高(新版)』『決済システムのすべて(第3版)』『証券決済システムのすべて(第2版)』『金融が支える日本経済』(共著:東洋経済新報社)などがある。

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