難易度が抜群に高いのが名古屋城だ。下り列車では名古屋駅を発車してから、庄内川を渡るまでの約2分間、E席側のビルの間から数回、ちらりと天守が見える。
名古屋を発車して3分あまり、キリンビール工場を過ぎるとまもなくE席側に見えるのが、清洲城だ。織田信長が本拠とした城で、本能寺の変の後には、羽柴秀吉(豊臣秀吉)と柴田勝家が信長の後継をめぐって対立した清洲会議が行われた場所でもある。
新幹線からの近さは沿線随一だが、実はこの天守は復元ではなく観光施設。そもそも、現在「清洲城天守」が建っている場所は清洲城の跡地ではない。直後に渡る五条川の対岸にある、清洲公園がかつての清洲城址だ。残念なことに本来の清洲城址は、開発によってほとんどが失われており、東海道本線と東海道新幹線も、清洲城址の中央を通過してしまっている。
数分で眺める天下統一の歴史
米原を発車して、エレベーターメーカーのフジテックを通過すると、E席側に見えてくるのが佐和山城址。関ケ原の戦いで敗れた石田三成の居城だ。関ケ原の戦いの直後に小早川秀秋らの徳川軍に攻められ、落城した。
城はその後完全に解体されたため、ごく一部の石垣などのほかは何も残っていないが、新幹線からよく見える位置に「佐和山城」の看板が設置されている。
佐和山城を抜けると、彦根市街の向こうに彦根城が現れる。佐和山城落城の後、太平となった世に向けた城として1622年に築かれたもので、天守は1606年の創建当時の姿を今に残している。
新幹線に乗っていると、1600年の関ケ原の戦い、佐和山城落城、そして1622年の彦根城築城という歴史の流れを、数分間で眺めることができる。もっとも、彦根城は新幹線から3kmほど離れており、市街地を挟むため霞んでしまうことも多い。
東海道新幹線開業当時は、新大阪駅到着直前のA席側に大阪城天守を見ることができたが、ビルが林立した今では全く見えなくなってしまった。
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