三菱自動車の元下請け社員が見た異質な風土 一流自動車メーカーとは比べるべくもない
筆者は横のつながりがあった下請け部品メーカー複数社の担当者からも同じ条件での契約になったことを聞いており、彼らは「ほかの自動車メーカーとの取引で、こんな話は聞いたことがない」と口をそろえ嘆いていた。今はわからないが当時の筆者の経験でいってもトヨタ自動車やホンダとは少なくとも、三菱自動車と同じやり方で契約したことはない。
三菱自動車は、当時資本関係にあったダイムラーの意向により、系列の部品メーカーで構成された協力会である「柏会」を2002年に解散し、部品メーカーとの取引をオープンにした。日産自動車と同じく系列を事実上解体したワケだが、これと業績悪化があいまって筆者の勤めていたような部品メーカーに対する無茶な値下げにつながったのだろう。業績が厳しかったことは理解できるが、そのシワ寄せを不合理に下請けへ食らわせたのだ。
異質さを感じた事例はこれだけではない。三菱自動車が取引のある部品メーカーの担当者を集め、当時、赤字に陥っていた業績について説明したときだ。出席した購買担当役員が「三菱自動車はいつでも三菱グループの門を叩く用意がある」と豪語していた。真意は定かではないものの、三菱自動車はいざとなれば三菱グループから支援してもらえる、という意味にしか聞こえなかった。
「三菱グループに守られている」という自覚
三菱自動車は日本の自動車メーカーの中で唯一戦前の財閥系から分かれた会社である。エンブレムのスリーダイヤモンドが付いた三菱グループの企業は、金融、不動産、商社、重工業、電機などに幅広く存在し、それぞれがまさに日本を代表する企業ばかりだ。それだけに同じ「三菱」の看板を掲げる三菱自動車は、なんだかんだでその傘に守られている。
実際にダイムラーが三菱自動車の支援を打ち切り、経営危機に陥ったときは三菱グループが経営再建を主導した。今は昔ほどではないかもしれないが、三菱自動車は国内新車販売の現場でも、三菱グループ関係者に買ってもらったり、その紹介にあずかったりという場面も少なくないと聞く。
かつて三菱自動車は、トヨタ、日産自動車に続く業界3位をホンダと競っていた時期もある。だが、筆者や同じく取引のあった部品メーカー担当者などの体験を基に言えば、トヨタやホンダ、日産自動車など今や世界を席巻する一流メーカーと比べると、三菱自動車は自動車メーカーとしての体をなしてきたとは言い難い。
結局のところ、燃費データの不正事件にしても、これらの事例と問題の根っこは同じだ。ダイハツ工業やスズキ、ホンダなどとの間で激化する軽自動車市場での競争に勝ち残るための苦肉の策だったのかもしれないが、本来ならばみずからの責任と実力で難局を打開しなければならないのに、ごまかしたり、他者に依存したりする。それが根を張った企業風土が燃費データ不正という墓穴につながった気がしてならない。
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