勝者も敗者もいない「北海道5区補選」の衝撃 なぜ池田候補は追い上げることができたのか

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和田氏の場合、町村姓を名乗らなかったために後継候補として認知されにくい面もあった。二階俊博総務会長などから「姓を変えた方がいい」と忠告も受けたほどだ。しかし和田氏は、「義父(町村氏)からは『政治信条を継いでほしい』と言われた」とこれを拒否。実際は和田氏の母親が姓を変えることに反対していたと言われている。

さらに致命的だったのは後援会の構成。主要な支持者たちはすでに高齢に達しており、機動力を欠いていたことだ。それは、5区入りした清和会所属のある議員の言葉からもよくわかる。「後援会の名簿を見て驚いた。3000人しか名前がなかった。あれではうちの市議レベルだ。これまで“町村ブランド”だけで戦ってきたんだろうなあ」。

自治相や北海道知事などを務めた父・金五氏の強い地盤を継いだ町村氏だが、2009年の衆院選で民主党の小林千代美氏に約3万票の差を付けられるなど、選挙に弱い面もあった。その翌年の小林氏側の選挙違反事件による衆院補選では、町村氏に世代交代を求める声もあがったほどだった。

さまざまな不安要因を抱える和田氏。選挙戦本番になると、いっそう劣勢を強いられた。

「負け戦」には首相が現れず

安倍晋三首相は4月17日に第5区入りする予定だったが、見送られる可能性も出ていた。それには前例がある。自民党候補が負けた2014年の滋賀県知事選では、「負け戦に首相を応援させるわけにはいかない」として、安倍首相の滋賀入りは見送られている。

そうしたムードを一変させたのが、4月14日夜に勃発した熊本地震だった。地震への対応ということでは、5年前の民主党政権の失態を多くの有権者が覚えている。危機の際には与党を支持する心情も働く。

熊本地震後、情勢は逆転した。その週末の北海道新聞による調査では、和田氏は池田氏を9ポイントもリードするようになったのだ。もともと野党寄りと見られている北海道新聞で、しかも投票までの1週間で再度逆転するには難しい数字が出たことは、池田氏には非常に厳しかった。

結果として和田氏が13万5842票を獲得し、12万3517票の池田氏に勝利した。その差は1万2325票になる。

これを2014年の衆院選と比較してみよう。

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