私が年を重ねて人間関係が広がった時に驚いたことの一つは、夫婦関係にもさまざまな形がある、ということでした。専業主婦が普通だった時代の話です。家事が大嫌いで苦手な専業主婦の女房を愛してやまない男性を知った時は、本当に驚きました。
大豪邸の廊下の隅は埃だらけですが、帰宅した夫は妻に、せめて掃除くらいはするようにと、注文を出すわけではありません。食事も基本的には外食か中食ですが、「妻が決めることだから」と黙って従うか、むしろ嬉々としています。そんな彼の話題の多くは、おのろけか妻自慢でした。
夫婦関係の決定打は愛情
ここまでいかなくともこの夫婦に近い関係の夫婦を、私は何組も知るに至りました。それで出した私の結論は、世の中の夫婦関係は、妻がどれだけ思いやりを込めて家事をし、夫に尽くすかで決まるものではないということでした。夫は家族に愛情深く、いわゆる夫の責任を果たすことはその前提です。否、どちらが前提というよりはそれらは同時進行で、夫婦の絆は育まれていくものだと、理屈以前に感じていたように思います。
ところが実際は、夫が妻を“恋女房”と感じている夫婦では、妻がどれだけ夫に対して他人目には横着であろうと、そんなこと関係ありませんでした。人によっては「一緒に暮らしてくれているだけでありがとう」の世界です。要は見返りを求めない愛情がどれだけあるかの問題でした。この場合、柳原白蓮さんのような例外もありますが、余程でない限り妻も夫に(錯覚であろうと)愛を感じ、それなりに応えて夫婦関係は良好な場合が多いです。
逆の場合は、いくら妻からみて“恋夫”であろうと夫が妻を嫌う場合、愛の錯覚も起こりません。この差は経済力の力関係を抜きには語れないでしょうが、男女の特性の違いもあるのでしょう。当然、個人差もあるかもしれません。
里子様、あなたはご自分を責めすぎて、コトの本質を見誤っているように思います。「一緒に暮らしてくれているだけでありがとう」の世界の妻たちと比較するのは惨めすぎるとしても、同じ女性です。不倫の原因をあなたにもあるとするのは、大きな判断ミスです。
仕事帰りのあなたに「ご飯はまだか」など、しかもそれが深夜でも言うのは言語道断です。生後2週間のベイビーが、自分の過ちで血便を出しているのです。電車とバスを乗り継いで病院へ行けとは、ベイビーへの愛情の欠片も感じませんし、インフルエンザが移るから実家へ帰っておれなどは、実家の人には移っても構わないということでしょうか。あなたを思いやることなど、彼の選択肢にはない人です。
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