新幹線開業初日、「変わる北海道」の姿を見た 「道民の悲願」達成も、将来像はまだ見えず
2本の列車の発着を見届け、筆者も北へ向かった。乗車した盛岡始発の「はやて93号」は、ほぼ満席だった。本州北端の新幹線駅・奥津軽いまべつ駅に停車し、ほどなく、多くの鉄道ファンがカメラを構える青函トンネル入り口にさしかかった。その直後、在来線特急と新幹線の差を実感した。
在来線特急は青函トンネルに入ると、「音」で他のトンネルとの違いが分かった。全長53.9kmもの長さのせいか、「ウォーン」と腹に響くようなうなりが聞こえ、不快ではないものの独特の振動があった。さらに年中、多湿なトンネル内の空気のため、車窓がすぐに曇った。
「はやぶさ」のE5系車両は、窓はすぐに曇ったものの、音や振動は他のトンネルと変わらないように感じられた。トンネルを挟む区間は、貨物列車とのすれ違い時に事故が起きないよう、速度は在来線と同じ140kmのままだ。しかし、走行時の安定性において、新幹線車両はやはり別格だった。
もう一つ、発見があった。通過に約25分かかるトンネル内は、スマートフォンも当然、「圏外」になる。しかし、かつて「海底駅」だった竜飛、吉岡の二つの「定点」に差し掛かると、携帯電話の電波が強くなった。トンネルを挟む道南や津軽半島北部よりも、むしろ通信環境が安定していることを確認できた。トンネル手前で写真付きのメールを友人に送ろうと試み、果たせないままトンネルに突入したが、「定点」の通過中に、いつの間にかするっと送信が終わっていた。
異常出水に悩み、多くの犠牲を伴いながらこのトンネルを掘り抜いた人々は、この日をどんな感慨とともに迎えただろう。その一人である知人を思い出すうち、ぱっと車窓に青空が広がった。テレビ局の中継車やカメラマン、多くの人々の姿が見えた。大きな旗を振っている人もいた。車掌のアナウンスが、列車が北海道へ上陸したことを伝えた。
木古内で見た「新幹線効果」
道南最初の駅・木古内駅で下車した。この連載で以前、紹介したころから、とても気になる駅だった。ホームでは近隣9町の人々が、H5系をあしらった大きな旗を列車に振っていた。
改札を出ると、JR北海道・江差線から第三セクター「道南いさりび鉄道」に生まれ変わった在来線側の駅前に、道南一円の出店のテントが並んでいた。
「開業に合わせて開発したんです」という呼び声につられて、上ノ国町(かみのくにちょう)のお店の「ほっけ煮茶漬け」を試してみた。日本海に面した、木古内町の隣町だ。
素朴だが道南の個性を感じさせる、旅路の記憶に残る味だった。この町は、津軽半島の「十三湖」湖畔にある五所川原市・旧市浦村との交流が30年ほど前から続いている。
新幹線の開業時は、地元のエッセンスを追究して、さまざまな模索と商品が生まれる。最終的な成否はさておき、「自分たちがこの地に住む意味」をとことん突き詰めて考え、行動に移すこと自体が、実は大きな新幹線効果なのだろう。自信ありげに「ほっけ煮茶漬け」を盛り付ける店員さんの顔を眺めながら、あらためてそう感じた。
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