(第7回)<室井佑月さん・前編>学校は我慢の場、学校が辛いほど大人であることを楽しめる

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●学校は「我慢の訓練」をする場所

 幼稚園くらいではみな変わらないものが、小学生くらいになると能力や家庭環境も含めてさまざまな子がいて、人との相違を感じるようになる。学校では、違う人間がいるということを学べる。私は、「団体でいるときは、ある程度人と合わせなきゃいけないんだ」ということを学びましたね。また、団体生活が向いていないということが徹底的に分かった。だから何かするとしたら個人で。団体で、みんなで協力してという仕事は選ばない。たとえ、作家じゃなかったとしてもね。

 学校は我慢の訓練の場として、できるだけ学校生活が辛い方がいい!その方が大人になったとき、大人であることを楽しめるから。学校が楽しかったら、社会に出るのも、出てからもつらいわけだしね。
 たとえば、夜遅くまで起きていても、朝起きられなくても自分の問題でしょう?朝起きるのがすごく辛かったら夜からのお仕事にすればいいし、明日までにやってこいというのも、それをやっていかなかったらマズイのも自分であると思えばやる。けど、そうじゃなければ全部自分の好きになる。大人はすごく楽ですよ。

●『天才』は、ストレスが作る

 学校はずっと公立でした。人によりけりだとは思うけど、ちょっとしたことで心の病で病院に通ってしまったり、突然仕事を辞めてしまったり、そんな人ほど私立出のエリートということが周りに多いです。もちろん、たとえば慶応のネットワークとか、エリートや私立校のよさもわかりますけど、破壊的な人間が出ないというか……。天才ってストレスが作るからね(笑)。

 陸上が得意で、800m走が速かったから、中学になると陸上部に入れられたのですが、すぐに辞めました(笑)。どうして?って、練習がキツくって(笑)。先生に入部を勧められた理由も、出席日数が足りないからで……。あまり大きな声では言えませんが、小・中・高校生と遅刻・早退・欠席No.1ですよ(笑)。うちの両親はすごく変わっていて、風が強かったり、雨が降っていたりすると、母から「風邪ひくから学校休めば」なんて言われていましたからね。親からもそれほど学校に行くことを強制されてはいませんでしたし、多分、他の子と違い、私にとってそのとき学校が全てじゃなかったと思うのです。

●将来、犯罪者になる!?と言われ……

 学校をさぼってばかりいたので、先生にはそりゃあ怒られましたよ。ある日、先生から親が呼び出され、「娘さんはこのままでいくと将来犯罪者になります」って言われていましたからね(笑)。両親はあまり気にしなかったみたいですけど……。  高校時代は、「先生のいうことをきかないとまともな大人にならない」などとよく言われていた。けれど、先生のいうことを聞いて、先生のいう通りにしていたら、先生のいうまともな大人というのは「=先生」だったから、それじゃあ、ああいう大人にはなりたくないと思ったもの。いつも同じ背広で、楽しそうじゃなく仏頂面していて。そういうのにはなりたくない。だから逆でいこうと思いました。

 それじゃあ、何になりたかったかというと、子どもの頃はお嫁さん!(笑)。働く自分は想像がつかなかった。父親が「女の子は嫁に行け」とずっと言ってました。変に外に出て世間ずれしちゃうと可愛くない。だからお嫁さんに行けと。でも働いてみたら結構楽しくて自分には合っていた。だからこれもまた、両親が絶対とも思わなかった。
 多分それぞれが「絶対」と思っていることがあって、それはみんな違う。でも大人になったら自分の絶対を通せるのだろう、通そうと思っていた。早く大人になりたかったし、子ども時代は、「大人の言うことだってコロコロ変わるし、学校もすごく辛いだけで、何でこんなことを、私は不幸だ!」ということしか考えていなかった。
(取材:田畑則子 撮影:戸澤裕司

室井佑月<むろい・ゆづき>
1970年、青森県出身。
ミス栃木、モデル、女優、レースクイーン、銀座のクラブホステスなどを経て、作家になる。
著書に、『熱帯植物園』、『血い花(あかいはな)』、『piss』、『プチ美人とお金』、『ああ~ん、あんあん』、『子作り爆裂伝』『ママの神様』などある。テレビ、ラジオ、シンポジウムなどでも活躍中

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