震災から5年、被災者に牙をむく「防災道路」 宮城県山元町で起きた復興事業の不条理

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自宅の立ち退きを迫られている高橋誠一さん

かさ上げ道路の正式名称は「県道相馬亘理線」。宮城県内での事業延長は約17.6キロメートル。うち約11.3キロメートル分を盛り土構造にすることで、津波被害を軽減するための防災機能を持つ。総事業費は125億円。宮城県の事業ではあるが、その全額が国の復興交付金で賄われている。

その道路計画は、なぜ住民の生命を脅かす存在になっているのか。

県道相馬亘理線を盛り土構造の防災道路として整備する方針が住民に知らされたのは、2011年12月に決まった山元町の震災復興計画である。だが、この時は「ルートについては関係機関と調整していく」と書かれていた。「測量立ち入り説明会」が地権者を対象に開催されたのは1年以上も過ぎた13年1月のことだった。

負担の大きい移転計画

その一方で11年11月には津波被害が大きかった笠野地区など沿岸部の広大なエリアが建築基準法に基づく「災害危険区域」に指定されるとともに、笠野地区についてはいっさいの住宅の新築や増改築を禁止する「第1種災害危険区域」にゾーニングされた。だが、それまでに多くの住宅が一通りの修繕を終わらせていた。

山元町の復興計画は、津波による浸水被害が大きかった沿岸部で新たな住宅建設を禁止もしくは厳しく制限するとともに、町があらかじめ定めた3カ所の新市街地に被災した住民を移転させることを特徴としている。いわゆる山元町版の「コンパクトシティ構想」だ。

しかし、新市街地に移りたくても移れない人もいる。前出の岩佐好之さんは当時、1700万円もの住宅ローンを抱えていた。大学生の長男を含めて3人の子どもを育てていた好之さんにとって、町が促す新市街地への移転はとてもかなわぬ話だったという。

かさ上げ道路の予定地に自宅がかかり、立ち退きを求められている住民もいる。笠野地区に隣接する花釜地区の一軒家で暮らす高橋誠一さん(69歳)は、「この年になってどこかへ行って住宅を見つけてくださいと言われても困る」と話す。県の土木事務所から送られてきた資料によれば、土地の買い取り額は坪当たりわずか3万円強。かつて購入したときの3分の1にも満たないという。

「現在は建物の補償額が出ていないので何とも言えないけれど、この年になって新しい家を取得するのは無理だろう。見知らぬ土地でアパート暮らしになるかもしれない」と高橋さんは先行きを心配している。

近所に住む清水仁さん(63歳)は一人暮らしだ。10年前に脳内出血を煩い、現在も身体が不自由だ。働くこともできず、年金で暮らしている。清水さんも「できればこの家で静かに余生を送りたい」と話す。

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