「通信販売」の歴史をどれだけ知っていますか 思わず人に話したくなる蘊蓄100章

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21. その学農社雑誌局発行の『農業雑誌』で米国産トウモロコシの種を通販したのが日本初とされる

22. しかし、当時の日本ではまだ郵便制度が確立して間がなく、通販ではなく「郵便注文営業」と呼ばれた

23. その後、大正時代に入ると野間清治が経営する「大日本雄弁会講談社」(現講談社)の代理部が通販を開始

24. これは同社の発刊雑誌の広告を使用した方法で、商品は雑誌のみならず雑貨や生活用品など多岐に渡った

清涼飲料水「どりこの」とは?

日本初の通販はトウモロコシの種とされている(写真 :tycoon / PIXTA)

25. なかでも話題を呼んだのが、医学博士・髙橋孝太郎が開発し滋養強壮をうたった清涼飲料水「どりこの」

26. 「どりこの」は砂糖とグルタミン酸を原料にした疲労回復ドリンクだが、髙橋には商品化の意思はなかった

27. それゆえ病人など限られた人々に分けていたが、口コミで広がり個人では対応しきれなくなってしまった

28. 苦慮した髙橋は1929年、銀座三越と資生堂パーラーでのみ販売を許可することになる

29. 同年、髙橋邸を訪れた講談社の野間は「どりこの」を試飲して気に入り、翌1930年に販売契約を結ぶ

30. その年の12月には大日本雄弁会講談社代理部を通じ、通販という形で全国販売が開始

31. 牛乳が6銭、コーヒー1杯10銭という当時、「どりこの」は1瓶(450㏄)1円20銭と破格の値段だった

32. 強気の野間は経費を使いキャンペーンを企画。『キング』等の雑誌広告のみならず試飲会やパレードも行った

33. 講談社の通販の配達は、日本全国から募集され難関をくぐりぬけて採用された小卒男児が主に行っていた

34. 彼らは講談社少年部に所属する社員見習いで、自転車やオートバイを使って配達していたという

35. しかし日本で通販が産業として確立したのは戦後のことで、1960年代にはカタログ販売業者が続々登場

36. 1963年にはリンガフォンやワールドファミリーなどがレコードを販売し、世間の注目を集める

37. 漫画や雑誌の広告を使った通販も堅調で1967年には筋力トレーニング機器「ブルワーカー」が大ヒット

38. 〈1日5分〉を謳い文句にしたロングセラー商品だが、日本国内だけで150万本を売り上げたといわれている

39. 1960年代の通販商品の特徴は、楽器や帆船模型、健康・美容器具といった趣味のグッズが目立つこと

40. なかでも1969年リーダーズダイジェスト社が販売した「世界大地球儀」は大ヒット商品となった

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