捕虜の拷問は、テロの抑止にはつながらない--イアン・ブルマ 米バード大学教授/ジャーナリスト
多くの人命を奪う爆撃などの戦争行為は国家防衛のために避けがたいとして認められているなら、なぜ拷問を非難するのかという問題が残る。もちろん無防備の人を爆撃すれば戦争犯罪になる可能性はある。しかし無防備な個人に対して意図的に攻撃するのを目的としないかぎり、自動的に戦争犯罪と見なされるわけではない。拷問の場合、個人に苦痛を与えることが目的であり、それは戦争行為とは異なる。
ある著名な右派の評論家は、最近、ブッシュ政権の高官を含む拷問者に説明責任を問うことは、「国民が寝ている間も国家を守っている勇敢な米国人の努力」を嘲笑するものであると発言している。拷問は戦闘とは同じではないという事実は別にしても、この主張は明らかに間違っている。
ブラジルは、かつて何年にもわたって人々を拷問した後、拷問をやめる決定を行った。拷問を恒常的に行うことは軍の規律とモラルを荒廃させるというのが理由だ。拷問は勇敢であるべき人を残忍な殺戮者にしてしまうのである。
Ian Buruma
1951年オランダ生まれ。70~75年にライデン大学で中国文学を、75~77年に日本大学芸術学部で日本映画を学ぶ。2003年より米バード大学教授。著書は『反西洋思想』(新潮新書)、『近代日本の誕生』(クロノス選書)など多数。
(Photo: U.S. Navy)
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