ベンツ「スマート」4人乗り復活が示す転身 MINIに倣い、コンセプトからブランドへ
ところがこのとき、スウォッチはMCC社から資本を引き上げており、社名はスマートとなっていた。開発に手間取ったことや、ハイエック氏の構想とは異なる内容になったことが理由らしい。
販売も伸び悩んだ。鉄道やレンタカーの割引制度など、ほかのモビリティとの使い分けを奨励することで、2人乗りのデメリットを解消しようとしたが、時期尚早だったのだろう、受け入れられなかった。
1999年にはスポーツカーのスマート・ロードスターを追加したものの、実用性に劣ることもあり販売台数は限られた。そこでダイムラー・クライスラーが考えたのは、グループの一員だった三菱自動車工業のコンパクトカー、コルトの兄弟車として4人乗りのフォーフォーを送り出すことだった。
しかし2004年に登場したフォーフォーも不発に終わった。フォーツーという名前を与えられたオリジナルの2人乗りとはサイズもメカニズムも関連性がなかったことが大きい。スマート社は巨大な負債を抱えることになった。
環境問題から、再注目されるように
そこで2007年に発売された2代目ではフォーフォーを止め、フォーツーと名付けた2人乗り一本にして原点回帰を図る。リアに積まれる3気筒エンジンを三菱製軽自動車用の拡大版にするなどして、コストダウンも図った。
そのうちに時代がスマートに追いついてくる。環境問題を真剣に考える人が増え、再注目されたのだ。カーシェアリングの「car2go」がスタートし、電気自動車仕様がデビューしたのもこの頃であり、経営状況も上向きになっていた。
勢いを加速させるには、やはり4人乗りが欲しい。しかし2007年にダイムラーとクライスラーは決裂しており、単独で2車種を開発生産するのは厳しかった。そこで手を結んだのがルノー日産グループだった。2010年、提携を伝えた日産自動車のニュースリリースには、スマートとルノー・トゥインゴの協業が最初に記されていた。
実はルノーも、新型トゥインゴのリアエンジン化を検討していたという。同社はダイムラー以上にこのメカニズムに豊富な経験があり、歩行者保護に有利で、室内が広く取れ、小回りが効くメリットを重視していた。提携話はまさに良縁だった。20年ほど前のダイムラーとスウォッチの関係を思わせる。
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