もし、高等教育の資金援助といった公益性の高い業務で、効率性をミッションにすることがおかしいと批判するのであれば、そもそも独立行政法人に任せるべきでなく、国がやるべきということが真剣に議論されなければならない。柴田教授は、「入口は奨学金事業の性格を持ちながら、出口は金融の論理で行われているというねじれ現象が、奨学金問題の本質」と指摘する。ただ、国が直接運営すれば、弾力的な財務運営や柔軟な人事管理は困難になり、効率化・サービス向上のインセンティブも働きにくくなるというデメリットもある。
また、奨学金事業に割り当てられる予算が少なすぎるのではないかという根本的な問題もある。限られた予算で運営している以上、ニーズを満たす資力がなければ、結局、給付にすることはおろか、無利子貸与である第一種奨学金の枠も少なくなることは当然だ。結果として、外部から資金調達をする金融的な手法を使わざるを得なくなる、というのが現実だろう。
奨学金が金融事業から切り離される日は来るか
日本学生支援機構も、予算が増えれば金融的手法を積極的に用いることを望んでいるわけではなく、「まずは、第一種奨学金について、基準を満たす希望者全員への貸与の実現を目指す。厳しい財政状況ではあるが、意欲と能力のある学生等が進学等を断念することがないよう、今後も引き続き努力したい」とコメントしている。
学校教育は、私たち一人一人が、人格を形成して、有意義な社会的生活を送るために欠かせないもので、営利を目的とする事業とは異なる。奨学金制度は、できる限り金融事業の考え方から切り離すべきだろう。
日本学生支援機構の遠藤理事長も、「奨学金制度は原則として返還の不要な給付制を目指すべき。現在の日本の高等教育に対する予算が貧弱であることは、疑いようのない事実」と認める。
しかし、給付型奨学金について以前から導入に積極的な姿勢を示していた馳浩文部科学大臣は、1月21日の参院決算委員会で、「まずは所得連動型返還制度の導入から進めていく」としてトーンダウン。安倍晋三首相も現時点での導入には否定的な見解を示している。奨学金制度が「事業」から脱却する日は、まだまだ遠いだろう。
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