《私のNPO血風録》(言論編・第三話)政治の失敗−マニフェスト

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 考えてみれば、8年前、言論NPOを立ち上げた時から、私には今と変わらない問題意識があった。一言で言えば、有権者側、つまり市民の対抗力の弱さが、こうした政治を許している、という強い思いである。
私が考える「強い民主主義」とは、政治家にお任せする社会ではない。多くの人が当事者としてこの社会の課題や未来に向かい合い、自らが政策を判断し、政治を選ぶ社会である。そうした政治と有権者の緊張感ある関係こそが、民主統治の原点だと私は考えてきた。
 私がこのNPOで目指したのは、「強い市民社会」を支えるインフラとして、自ら政治を判断できる材料と、健全な議論の舞台を有権者に提供することだった。
 私たちが真っ先に、日本の将来構想での対案づくりと日本では初めてとなる政党の政権公約(マニフェスト)と政府の政策実行の評価作業に取り組んだのは、そのためである。もちろん、こうした取り組みは簡単に進んだわけではない。現時点で成功したかと言えばまだそうは思わない。
 が、今も変わらずその作業を毎年続けているのは、この国の政治を変えるには、私たち有権者が変わるしかない、という強い思いがあるからである。有権者が政治に向かい合う「健全な市民社会」こそが、政治を強くする。つまり、問われているのは、私たち自身なのである。

 私が、NPOを立ち上げた8年前も日本の政治には今とかなり似通った閉塞感が覆っていた。その頃、ウエブで、私はこんな呼びかけを行った。「いつまでも夢のない国でいいのか、日本。いちばん、不況なのは、この国の言論ではないか。今、始めなければ、日本は死んでしまう」
 「ジャパンパッシング」(日本無視)という言葉はその当時から語られていた。国際政治の中で日本が孤立し、存在感を失っている背景には、「未来を語れない」、日本政治の弱さがある。それどころか、当時の日本は景気対策を繰り返すだけで、バブル崩壊後の金融危機の最終処理の決断すら先送りを続けていた。政治が課題解決に立ち向かず、全てを政局の枠組みの中でしか構想できない。そうした日本の政治の機能不全はその頃から始まっていたように私には思える。
 しかし、今と8年前が唯一異なるのは、政治主導で改革を進めようとする一人の政治家がその時、現れたことだった。
 言論NPOがNPOとして認証されたのは2001年の11月のことである。その7ヵ月前の4月26日に小泉政権は発足している。小泉政権の評価に関しては後で触れるつもりだが、戦後システムの既得権益化した政治構造の打破を主張したこの政権は、当時、直面している最大課題の不良債権処理などに達成時期を明らかにして取り組んでいる。
 率直に言えば、小泉政権がなければ、国民に向かい合い、政策の実行に責任を持とうとするマニフェスト型の政治は始まらなかった、と私は考えている。
 国民との約束に基づく政治の循環を始めるには、私たち自身も当事者としてこの日本の改革に向かい合うことが必要である。だが、当時の風潮は、一人の政治家のドラマを傍観し、まるで観劇を楽しむように一喜一憂している。そうした風潮に強い違和感を私は覚えていた。

 その日の夜のことは今でもよく覚えている。
 2003年7月4日夜、私も参加しているある団体のパーティでの席上で挨拶に立った時のことである。この席で、私はマニフェストの評価作業を始める決意を披露しようと目論んでいた。
 実はその前日の夜、私は交通事故に遭遇し、病院から抜け出してきたばかりだった。首にコルセットを巻いた痛々しい写真は今でもウエブで検索をすると見られる。
 やっとの思いで挨拶を始めたが、壇上で息が止まるくらい驚いたのは、会場に突然、首相が入ってきたからだ。
 「日本の未来は、一人の政治家に期待するのではなく、私たち自身が挑戦する中で描くものだ」。予定通りそう言い切った私のわずか数メートル前に首相は仁王立ち。その迫力の前に、私は言葉を失いかけた。
 やっとの思いで、絞り出した言葉は「小泉改革を言論NPOは評価します」だった。

 パーティから3ヵ月後、私はマニフェストの評価委員会を立ち上げた。
 政権の政策の評価に民間が本格的に取り組んだのは、日本では初めてのことだと思う。

2001年4月26日 小泉総理大臣誕生(第1次小泉内閣)
6月7日 自民党、国家戦略本部設立(本部長に小泉純一郎総裁)
7月29日 第19回参議院選挙
8月10日 自民党総裁選(無投票で小泉氏再選)
11月 言論NPO設立
2002年3月13日 自民党国家戦略本部、「政治システム最終提言」を提案 小泉三原則発表(1)首相を中心とする内閣主導体制の構築(2)官僚主導の排除(3)族議員政治との決別
2003年1月25日 北川正恭氏、首長選挙にマニフェスト導入を提言
4月8日 国家戦略本部「政権公約の実施」に関する提言を発表
10月3日 公職選挙法改正 マニフェスト頒布が部分的に解禁
10月8日 言論NPO、「政策評価委員会」立ち上げを記者会見 (安斎隆、川本裕子、北川正恭、高橋進、湯本健治、横山禎徳)
10月30日 言論NPO、「自民・民主マニフェスト共同評価」を発表
11月9日 第43回衆議院選挙
11月19日 第二次小泉内閣発足
2004年5月12日 言論NPO、21世紀臨調主催の「政権公約検証第1回大会」へ出席
6月3日 言論NPO、「与党マニフェストと小泉政権に対する政策評価」を発表
2005年8月8日 郵政法案参議院で否決 衆議院解散
8月30日 言論NPO、自民党・民主党・公明党のマニフェストを評価
9月2日 言論NPO、小泉政権の実績に関する全体総括を発表
9月11日 第44回衆議院選挙
9月21日 第三次小泉内閣発足
2006年3月1日 言論NPO、「小泉政権の実績評価」・各政党の「マニフェスト」の評価を発表
9月26日 安倍総理大臣誕生
2007年2月1日 言論NPO、「安倍政権の100日評価」公表
9月26日 福田総理大臣誕生
2008年3月1日 言論NPO、「福田政権の100日評価」公表
9月24日 麻生総理大臣誕生
2009年1月7日 言論NPO、「麻生政権の100日評価」公表
工藤泰志(くどう・やすし)
言論NPO代表。
1958年生まれ。横浜市立大学大学院経済学修士課程卒業。
東洋経済新報社で、『週刊東洋経済』記者、『金融ビジネス』編集長、『論争 東洋経済』編集長を歴任。2001年10月、特定非営利活動法人言論NPOを立ち上げ、代表に就任。
言論NPOとは
アドボカシー型の認定NPO法人。国の政策評価北京−東京フォーラムなどを開催。インターネットを主体に多様な言論活動を行う。
各界のオピニオンリーダーなど500人が参加している。
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