「構成に違和感」「制度に沿った当然の対応」との公開質問に「おわびして訂正」…バンキシャ"誘導構成"謝罪は何がマズかったか

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このように、近ごろでは高市首相や自民党について、少しでも懐疑的な発言をすると、処罰意識を帯びた拡散力が生まれがちだ。おそらく、このコラムに対しても、「これだからマスゴミは」「テレビ局からいくらもらってるんだ」といったバッシングが付くだろう。

これら3つの要因が複合的に絡み合っていると考えると、テレビ局だけの責任には思えない。そこに加わる論点として、「そもそも公職選挙法が難しい」ことを挙げたい。タスキの件では、一般的に「選挙区でも比例でも、候補者は候補者だ」と、ひとくくりに認識されていることが、誤解の遠因にあると考えられる。

公選法以外にも「選挙による特例」はある。例えば、候補者や運動員は、選挙運動をするために自動車を運転する際、シートベルトの着用義務がない(道路交通法施行令第26条の3の2)のであるが、意外と知られていない。

もちろん報道関係者が、これらの知識を持っていない、もしくは調べが足りないとなれば、プロとしての資質を問われて当然だ。とはいえ、それだけ「政治社会の“常識”は、一般社会の“非常識”」と言える状況がある。

選挙制度のみならず、「政治とカネの問題」も、結局は政治家と有権者の間にある、価値観のギャップから生じている。そして、そうした土壌を作っているのが、あいまいな法整備ではないかと、筆者は考えている。

制度上のわかりにくさをどのように改善するか

公選法は条文のみではわかりづらく、明文化されていない慣習で運用されている部分が多い。本来であれば、「これはOK」「これはNG」としっかり明記すべきだが、“現行ルールで当選した利害関係者”である国会議員がルール作りをしていることから、抜本的な改正にはハードルが高い。

また国民感情と条文のズレも少なくない。バンキシャのケースを見ると、候補者が掲示できる文書図画に関しては、第143条で規定されており、衆院選の比例代表候補については「たすき、腕章及び腕章の類」を掲示できないこととなっている。

あくまで制度上の立て付けはそうであるが、有権者の心情としては「永田町に送り込むのは“政党”ではなく“政治家”なのだから、党名での投票であっても、当選する可能性がある候補者はしっかり見定めたい」と感じて当然だろう。

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