ガザ地区で最後まで取り残されたイスラエル人人質を奪還したユダヤ人のメンタリティー
ラン氏の遺体が収容された直後、安全な場所に移動し、初期のDNA照合が行われた。最終的にはイスラエル国内の法医学研究所にて、歯の記録と家族のDNAサンプルを照合することで遺体がラン氏本人であることの100%の確証が得られた。
無言の帰還を果たしたラン氏は警察官だった。ハマスのテロ攻撃があった23年10月7日、彼は休暇中だった。2週間前に肩を骨折し、2日後に手術を受ける予定だった。ハマス急襲の報を受けると制服に着替え、防弾ベストを着用してベエルシェバ署に急行した。
最後の人質・ラン氏の奮闘
ガザ地区周辺の戦闘地域に到着すると、襲撃されたノバフェスティバル参加者を守るために文字どおり命がけで戦い、数十人を救出した。銃撃戦により負傷したラン氏は、ユーカリの木の下に隠れて止血帯を装着し、戦い続けた。最終的に弾切れとなり、致命傷を負った状態でガザ地区に拉致されたと見られている。
2週間後、ガザ地区のシファ病院付近でテロリストに囲まれたラン氏の遺体を写した写真が送りつけられた。さまざまな情報を検証した結果、ラン氏は重傷の状態で治療を受けなかったことにより死亡したと推定された。
25年10月、ハマスとイスラエルとの間で停戦協定が結ばれた。アメリカのトランプ大統領肝いりの「20項目の包括的ガザ和平案」である。この協定の出発点は、戦闘の即時停止と人質の全員解放だった。イスラエルが停戦を受諾してから72時間以内に、ガザで拘束されている人質を、生死を問わず全員返還することが明記されていた。
しかし実際は、合意どおりには進まなかった。生存していた人質は停戦発効から数日以内に解放されたが、その数は20人に留まった。死亡した人質の返還はさらに遅れ、25年11~12月に段階的に行われた。最終的に解放されるべき人質48人(生者・死者の合計)のうち、47人がイスラエルに帰還するまで数週間を要した。
ラン氏が残された最後の1人となった。進展が見られない中で行われたのが、遺体奪還作戦だった。ラン氏の遺体が特定されたのは、ガザ地区内の墓地で250人以上の遺体を丸1日かけて検死した後のことだった。


















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