最愛の夫を亡くした元朝日新聞記者の独白。「悲しみは乗り越えるものではない」――遺族を傷つける"若すぎる死"という無意識の言葉
亡くなった直後は、後悔やネガティブな思いばかりが湧いてきて、楽しいことがなかなか思い出せないものですが、5年という月日を経て、ようやく娘と笑い合える時間が増えてきたように感じています。
葬儀の簡素化が進む今こそ問い直したい、故人を語り合う「心のケア」
――現在、河合さんは上智大学のグリーフケア研究所に通われているそうですね。なぜ学びの場に身を置こうと思われたのでしょうか。
河合:「喪の旅」の取材を続けてきて、もう少し学びを深めたかったことと、自分の経験をもとにグリーフケア(悲嘆の癒やし)の活動に繋げられたらと思ったからです。
グリーフケア研究所では、死生学を学べるだけではなく、「他者理解のためには、まず自分を知ること」を大切にしていることから、グループワークで自分の経験を掘り下げて話す機会も多いんです。悲しみを言葉にして誰かと共有することで、「私ってこういう人間だったんだ」と改めて自分を見つめ直すきっかけにもなっています。
――昨今の日本社会は、葬儀や供養の場も簡素化・効率化する傾向にあります。こうした社会の風潮についてはどう感じていらっしゃいますか。
河合:おっしゃるように、最近はなるべくコンパクトに、周りに迷惑をかけずに済ませようという「効率的」な弔いが増えていますよね。
かつての葬儀や法要は、親戚や同僚が集まって故人の思い出話をしたり、ちょっとした失敗談で笑い合ったりする場でした。そうやって「自分の知らない故人の顔」を誰かから聞くことは、遺族にとって「この人はこんなふうに生きたんだ」と救いになる、大切なグリーフケアの場でもあったと思うんです。そうした場が失われつつあることは、寂しいことかもしれません。
――心の穴を埋める一つの装置だった儀式のあり方が変化する中、私たちはどうやって喪失と向き合えばよいのでしょうか。
河合:信頼できる人にだけ本当の気持ちを話したり、あるいは感情を書き出したり、絵を描いたり、何らかの形で感情を「外に出す」ことが、平穏への道しるべになると感じています。
ただ、私は悲しみというのは、時間が経てば消え去るというものではなく、時間とともにその「かたち」が変化していくものだと思っています。
大切な人が亡くなった直後は、心が混乱していて、大きな波のような悲しみがひっきりなしに頻繁にやってきます。それから少し経つと、昨日までそこにいた人がいない環境に若干慣れていく部分もあるのですが、一方で「ああすればよかった」という後悔や思い出は、過ぎた時間の分だけ自分の中に積もっていきます。
そうした時間が過ぎていく中で、誰かと話をしたり自分の気持ちを言葉にしたりすることで、最初とは違う悲しみに変わっていくのを感じると思います。次第に、亡くなった人への「ありがとう」という気持ちが深まり、「こんなに悲しいのは、それほど大切な人に会えた証しなんだ」と思えるようになる。こうやって悲しみを確認し、別の言葉に置き換えていくためには、やはり時間が必要なのかもしれません。
時間をかけながら、信頼して話を聞いてくれる人がそばにいること。それが叶ったとき、ようやく次の一歩が少しずつ進んでいくのではないでしょうか。
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