最愛の夫を亡くした元朝日新聞記者の独白。「悲しみは乗り越えるものではない」――遺族を傷つける"若すぎる死"という無意識の言葉
――語ることが心の支えになる一方で、喪失の傷をなぞることで激しい痛みを覚えることもあります。河合さんも周囲から「(夫が)60歳の若さで亡くなるなんて」と言われて傷ついたそうですね。
河合: メディアでも「○○歳の若さで」という表現がよく使われますが、私は絶対に使いません。どんな年齢であっても、本人は精一杯生ききったはずです。それを周りが「若さ」という物差しで測るのは、一方的で礼を欠くレッテルではないでしょうか。
一方で、私自身も「人生100年時代に60歳で死なせてしまった、何かできなかったのだろうか」という強い自責の念がありました。だからこそ、周囲の「若いのに」という言葉がダイレクトに突き刺さってしまったんです。
特別な言葉はいらない。孤立を防ぐさりげない寄り添い
――無自覚な言動や行動が、ときに遺族を追い詰めてしまうのですね。遺族が抱える喪失の痛みを少しでも和らげるために、周囲はどう寄り添えばいいのでしょうか。
河合:実は、特別な言葉なんていらないのかもしれません。私自身、忘れられない経験があります。お隣さんが、夫の命日が近くなると「命日だったよね。何かあったら言ってよ」と声をかけてくれるんです。何年経っても、誰かが夫のことを忘れずに心を寄せてくれている。その意思表示だけで、言葉以上の支えになります。
――「忘れていないよ」というサインが、孤立を防ぐのですね。
河合:そうですね。お茶を飲んだりご飯を食べたり、たださりげなく、そっとそばに居続けること。たとえ話をしなくても、「あなたのことを気にかけているよ」という温かな空気が伝わるだけで、人はまた自分の中から生きる力を引き出していけるのだと思います。
――竹久さんを亡くされた後、ご家族の間ではどのような変化がありましたか。
河合:夫を亡くした直後の私は、自分の悲しみで心がいっぱいになってしまい、娘がどれほどの思いを抱えているかまで思い至れませんでした。
娘は「パパのことを思い出すと悲しいから」と、自分の悲しみに蓋をしていました。なるべく思い出さないようにしながら、食が細ってしまった私に、ご飯を作って食べさせようと奔走してくれたんです。娘なりに、悲しみに暮れる私を気遣って、必死に自分を抑えていたんだと思います。
――大切な家族同士だからこそ、相手を思いやるあまり、自分の感情を後回しにしてしまうと。
河合:今振り返ると、本当にうかつで申し訳なかったと思っています。以前大学で講演をした際も、同じような思いをした学生さんに出会いました。中学生の時に大好きだった祖父を亡くしたけれど、「親を助けなきゃ」と思ってずっと悲しみに蓋をしてきた、と。私の講演を聞いて、数年越しにその蓋がパッと開き、号泣されていました。悲しみは、どれだけ時間が経っても「表す」場所を必要としているのだと、その学生さんに教わった気がします。
――現在、娘さんと竹久さんの話をすることはありますか。
河合:はい。娘は時間が経つにつれて、少しずつ感情の蓋を緩められるようになってきたように思います。きっかけは、「笑い話」でした。「パパって、あんなしょうもないこと言ってたよね」とか、ちょっとおかしみのある些細な思い出を話すんです。


















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