生成AIで起きたのは「研究の低年齢化」ではない/民主化ではなく、「最初から本質を持っているか」が問われる残酷かつ公平な時代に
生成AI(人工知能)をうまく使えば、学部生でも先端レベルの論文が書ける時代になってきた。極端に聞こえるかもしれないが、私はむしろ、意欲ある高校生や中学生でも、十分に可能になりつつあると考えている。
東京大学の公共経済学の経済学者である小川光教授の経験談がそれを物語っている。経済学を学んだことがない学外の大学院修士の学生が、彼のところに評価してほしいと持ってきた論文が、フィールドトップの学術誌に挑戦できるレベルのものだったのだ。
この学生は、専門外である経済学という分野で、AIとの対話だけでどこまでのレベルの研究ができるかを1年間かけて試してみたそうだ。研究アイデアの着想から英文論文化まで、さまざまなAIツールを組み合わせながら、ほぼ独学で書き上げたという(小川光「AIを引っ提げてやってきた大学院生」<『淡青評論』第1184回>)。
もちろん、誰でも簡単に論文が書けるようになった、という意味ではない。生成AIは研究のハードルを下げたのではなく、研究という営みの本質を、年齢や経験、そして「作業量」から切り離して露わにしたのだ。
そしてこれは、研究者に限らず、エンジニア、コンサルタント、企画職など、知的な仕事すべてに共通して起きている不可逆な変化でもある。
かつて知的な仕事を守っていた「参入障壁」
少し前まで、知的な仕事には強固な参入障壁があった。
それは、膨大な先行研究を読み解く語学力と体力、複雑な統計分析をコーディングする技能、そして「作法」を身に付けるための長い修行期間だ。これらは、年齢や経験の蓄積と強く結びついていた。
企業の現場でも同様だ。見やすい資料を作るスキル、議事録を正確にまとめる能力、ビジネスメールの作法。これらが「一人前」になるための参入条件だった。
そのため、若手の第一歩として、「既存の枠組みを丁寧になぞり、少しだけ改変する仕事」が、合理的な訓練(OJT)として機能してきたのである。


















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