生成AIで起きたのは「研究の低年齢化」ではない/民主化ではなく、「最初から本質を持っているか」が問われる残酷かつ公平な時代に
この変化は、若手にとって単純に明るい話ではない。むしろ、残酷な側面を含んでいる。
これまで訓練として機能してきた「安全な微修正」や「丁寧さで評価される下積み」は、価値を失った。生成AIが最も得意なのは、既存の枠組みを踏まえた"もっともらしい改善"だからだ。
その結果、若手は「練習する場」を奪われ、いきなりプロと同じ土俵で「本質的な問い」や「独自の判断」を求められることになる。
かつてのように、資料作成やデータ整理で先輩に褒められながら、少しずつ勘所を養うという「梯子」は外されたのだ。これはチャンスであると同時に、中途半端な人材には居場所がない、非常に厳しい世界の到来でもある。
経験を持つ人にとっての「解放」
一方で、この変化は経験を積んだベテランにとって、まったく異なる意味を持つ。
これまでベテランのボトルネックだったのは、体力と時間、そして老眼などの身体的衰えだった。複雑な作業を根気よくこなす余力や、新しいプログラミング言語を覚える負担が、経験の発揮を妨げていた。
生成AIは、この制約をほぼ完全に解消する。
面倒な作業や実装が外部化できることで、長年の経験に裏打ちされた「直観」や「大局観」が、純粋な形で仕事に反映されるようになった。これは、研究者に限らず、知的な仕事全体の「職業寿命」を劇的に延ばす変化でもある。


















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