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北海道「日本一の赤字路線」の先にあった幻の鉄道 全線完成間近で中止された「美幸線」の未開業区間

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これに対し、「赤字83線」沿線の住民や自治体は廃止に反対。とくに美深町など美幸線の沿線自治体は「部分開業の姿だけをみて判断するべきではない」などとして強く反発した。また、国鉄による赤字83線廃止は鉄道公団のローカル線建設と関連付けられた施策ではなかったため、国鉄がローカル線の廃止を進める傍らで鉄道公団がローカル線を建設するという矛盾も生じた。

1970年11月27日には志美宇丹―仁宇布間30.4kmの工事実施計画が認可され、未開業区間の全線が着工。これに伴い、小頓別―枝幸間などを結んでいた並行路線の簡易軌道は1971年までに廃止されている。

仁宇布―北見枝幸間の未開業区間に残る橋梁。美深―仁宇布間の廃止問題が浮上したにもかかわらず工事が進められた(筆者撮影)
【写真】未開業区間に残るトンネルの入口にある銘板には「昭和45年」の文字が

そして1972年、田中角栄が首相に就任し、同年6月に『日本列島改造論』を発表。田中は「都市集中を認めていた時代なら、国鉄赤字線を撤去せよという議論は一応説得力があった。しかし工業再配置を通じ全国総合開発を行う時代の地方鉄道については、新しい角度から改めて評価し直すべき」などとし、国土開発に必要な路線なら赤字であってもかまわないと主張した。こうして赤字83線の取り組みは1972年で事実上終了してしまった。

「開業まで残り少し」で凍結

しかし、国鉄は1970年代後半には年間8000億~9000億円台の赤字を記録するようになる。国鉄全体でみればローカル線の存在は赤字の主要因ではなかったが、放置できるものでもない。このため、国は強制力を伴う法律を制定して国鉄の再建を目指すことになり、ローカル線の存廃も国会で議論されるようになった。

美深町長が「日本一の赤字線」として美幸線を売り出したのも、ちょうどこのころだ。国鉄に美幸線の切符を大量注文して東京や大阪、札幌に行き、人通りの多い道ばたで美幸線の存在をアピールして切符を売りさばいた。その結果、営業係数は1977年度が2811でワースト1位だったのに対し、1978年度は2472に改善されてワースト4位に。1979年度は1911になり、ワースト7位まで改善された。しかし営業係数が1000を超える状態には変化がなく、焼け石に水であった。

【写真を見る】北海道「日本一の赤字路線」の先にあった幻の鉄道 全線完成間近で中止された「美幸線」の未開業区間(51枚)

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【黒字化の可能性はほぼなし】

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