北海道「日本一の赤字路線」の先にあった幻の鉄道 全線完成間近で中止された「美幸線」の未開業区間
一方、未開業の北見枝幸―仁宇布間では鉄道公団が引き続き工事を推進。1978年度の時点で路盤工事が完了した。現地にはレールや枕木などが運び込まれ、全線開業まで残り少しだった。
しかし1980年12月、国鉄再建法が公布。同法に基づく政令では、原則として輸送密度が4000人未満の路線を「特定地方交通線」に指定し、鉄道を廃止してバス転換するか、第三セクターなど国鉄以外の事業者に鉄道の経営を引き継がせるものとした。輸送密度が80人前後の美幸線も当然ながら対象となり、1981年9月には特定地方交通線に指定された。
さらに鉄道公団が建設中の国鉄新線も、開業後に想定される輸送密度が4000人未満の場合は工事を凍結することに。第三セクターなどが完成後の経営を引き受けることを条件に工事を再開するものとした。美幸線の場合、北見枝幸―仁宇布間の想定輸送密度は300人。第1期線のみの輸送密度と比べれば大幅な増加だが、これも4000人には遠く及ばなかった。
北海道や美深町などは1982年に検討会を設置し、第三セクター化による全線開業を目指すことにした。しかし試算してみると、黒字化の可能性はないとしたものか、あるいは将来需要を過大に見積もって施設費や人件費を極限まで切り詰めたりしたうえで、やっと黒字になるという結果しか出てこなかった。
美幸線周辺の鉄道も消滅
結局、第三セクター化による鉄道存続は断念され、開業からわずか21年後の1985年9月16日限りで第1期線が廃止。翌日から地元バス会社が運行する代替バスが運行された。130億円以上かけて整備された未開業区間の築堤や橋梁、トンネルは工事の凍結により放棄され、のちに沿線自治体が譲り受けている。
ちなみに、興浜線を構成する興浜南線と興浜北線も美幸線と同じ時期に廃止され、未開業区間は工事が中止。1989年には名寄本線と天北線も廃止された。これらの代替バスは過疎化のさらなる進展に加え自動車交通の発達に伴って厳しい経営が続き、一部の区間は廃止されている。美幸線の代替バスは2012年、予約が必要なデマンドバスに移行した。



















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