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北海道「日本一の赤字路線」の先にあった幻の鉄道 全線完成間近で中止された「美幸線」の未開業区間

美幸線の位置(青=開業→廃止、赤=着工→中止)(国土地理院地図を筆者加工)
バスターミナルに変わった興浜北線の北見枝幸駅跡。ここに美幸線が乗り入れる計画だった(筆者撮影)
道路を挟んでバスターミナルの向かいにある交通公園も北見枝幸駅の跡地(筆者撮影)
交通公園には「北見枝幸駅跡」と記された記念碑がある(筆者撮影)
北見枝幸―南枝幸(信)間:枝幸町の中心市街地を貫いていた美幸線の路盤は区画整理で消滅した部分や、写真のように路盤を撤去して道路に造り直した部分がある(筆者撮影)
北見枝幸―南枝幸(信)間:中心市街地から離れると美幸線の路盤が現れた(筆者撮影)
南枝幸信号場付近は草木に埋もれながらも路盤が残る。オホーツク海に沿って南下する興浜線がここで分岐するはずだったが、興浜線も工事が凍結されて幻に終わった(筆者撮影)
下幌別駅の路盤も草木に埋もれている。奥に見える橋は美幸線の路盤をまたぐ道路橋。美幸線の工事中止で立体交差の構造は無駄になってしまった(筆者撮影)
雑草に覆われた下幌別駅の路盤を道路橋から眺める。幅が広いのは上下列車の行き違いのため線路を2線以上敷設される計画だったためだろうか(筆者撮影)
下幌別―歌登間:美幸線の路盤は道道12号に沿って歌登方面に延びる。道路北側の一段高いところにトンネルやスノーシェッドが残る(筆者撮影)
下幌別―歌登間:坑口をコンクリートでふさいだトンネルもある(筆者撮影)
下幌別―歌登間:コンクリート桁橋のイタコマナイ川橋梁(筆者撮影)
下幌別―歌登間:イタコマナイ川橋梁の奥には草木に隠れるようにして歌登トンネルの坑口が見える。左脇に見えるのは道道12号の歌登トンネル(筆者撮影)
歌登駅の路盤は広大な空き地になって残る。工事凍結の直前に大量のレールや枕木が運び込まれたが、その姿はどこにもない(筆者撮影)
歌登駅の旧予定地近くにあるバスターミナル。歌登は未成区間の中間では規模の大きい市街地で写真の枝幸行き路線バスの利用者も多いが、この路線バスは現在廃止されてコミュニティバスに移行した(筆者撮影)
歌登―辺毛内間:雑草に覆われた路盤。樹木が路盤を避けているため美幸線のルートが分かりやすい(筆者撮影)
歌登―辺毛内間:美幸線の路盤をまたぐ道路橋のコンクリート擁壁に工事の完了時期を示す「1979-12」の文字。1980年度の予算凍結直前まで工事が行われていたことを示している(筆者撮影)
歌登―辺毛内間:美幸線の路盤から少し離れたところにある観光施設「うたのぼり健康回復村」で静態保存されている小型のディーゼル機関車。美幸線の着工に伴い廃止された簡易軌道で使われていた(筆者撮影)
辺毛内駅の旧予定地は路盤自体は残っているが周囲の自然に溶け込んでいて判然としない(筆者撮影)
辺毛内―志美宇丹間:美幸線の築堤がしっかりと残り、下道との交差部に設けられたボックス橋も健在(筆者撮影)
辺毛内―志美宇丹間:築堤の上によじ登ると雑草は少なくバラストが顔を出していた(筆者撮影)
辺毛内―志美宇丹間:築堤の先にあった志美宇丹トンネル(筆者撮影)
辺毛内―志美宇丹間:志美宇丹トンネルの坑口に貼り付けられていた銘板。この銘板を読む限り、坑口の部分は構造上はトンネルではなく「第1志美宇丹雪おおい」というスノーシェッドのようだ(筆者撮影)
辺毛内―志美宇丹間:歌登駅から先は道道120号に並行するルート。志美宇丹駅の旧予定地の北見枝幸寄りには美幸線の路盤を取り込むようにして整備された道道120号のバイパス道がある(筆者撮影)
志美宇丹駅の旧予定地とみられる場所。ここに何を造ろうとしていたのか分からないほど自然に取り込まれてしまっている(筆者撮影)
志美宇丹―上徳志別間:コンクリート桁橋のオフンタルマナイ川橋梁。ここを訪ねた時点で完成から40年近くが過ぎていたが、状態は悪くなさそうだ(筆者撮影)
志美宇丹―上徳志別間:オフンタルマナイ川橋梁の先にあった第1上徳志別トンネル(筆者撮影)
志美宇丹―上徳志別間:第1上徳志別トンネルの中をのぞき込んでみると農作業車が置かれている。相当に頑丈な「駐車場」だ(筆者撮影)
志美宇丹―上徳志別間:第1上徳志別トンネルの上徳志別寄り坑口は川に隔てられ近づくのが困難。草木に隠れた坑口と、その手前に白いコンクリートの橋台があるのは確認できた(筆者撮影)
上徳志別駅の旧予定地(黒い土の部分)にあった路盤は撤去工事が完了して農地に戻されたばかりだった(筆者撮影)
上徳志別駅の旧予定地周辺は超過疎地帯で人の姿はほとんど見えないが、放牧された牛は多い。このあたりから美幸線は山岳地帯に入っていく(筆者撮影)
上徳志別―北見大曲間:かつてあった築堤はきれいさっぱり撤去されていた(筆者撮影)
道道120号から分岐して北見大曲駅の旧予定地につながる道。これでも「駅前通り」だ(筆者撮影)
北見大曲駅の旧予定地付近に残っていた、林道をまたぐボックス橋。この前後にあったはずの築堤は撤去されており、ボックス橋だけがポツンと残っている(筆者撮影)
北見大曲―仁宇布間:道道120号の天の川トンネル(枝幸寄り坑口)。美幸線の第2大曲トンネルを拡張する形で建設された(筆者撮影)
北見大曲―仁宇布間:天の川トンネルの仁宇布寄り坑口。北見枝幸寄りの坑口とは形状が異なる(筆者撮影)
北見大曲―仁宇布間:天の川トンネル(第2大曲トンネル)の先にある第3大曲トンネルは坑口がコンクリートでふさがれていた(筆者撮影)
北見大曲―仁宇布間:美幸線の路盤は天の川トンネルから仁宇布まで、道道120号から西へ200m前後離れたところを通る。川や森林で遮られているうえ、林道も狩猟期間で閉鎖されていて路盤に近づけなかった(筆者撮影)
北見大曲―仁宇布間:美幸線の路盤を確認できないまま山岳地帯を抜けて仁宇布地区に。美幸線の築堤が見えた(筆者撮影)
北見大曲―仁宇布間:築堤はキタキツネの「遊び場」になっていた(筆者撮影)
北見大曲―仁宇布間:カメラを構えた私をじっと見つめるキタキツネ(筆者撮影)
北見大曲―仁宇布間:仁宇布駅まであと少し。草木が少なく歩きやすい。「日本一の赤字線」と呼ばれた第1期線の終点近くにあったのは、黒いバラストが敷き詰められた未成区間の路盤だった(筆者撮影)
仁宇布駅の線路終端部に到達(筆者撮影)
仁宇布駅には廃止時に建立された記念碑がある(筆者撮影)
現在の仁宇布駅は遊具鉄道「トロッコ王国美深」の施設として活用されている(筆者撮影)
トロッコ王国美深では、エンジン付きのトロッコで仁宇布駅付近に残る線路を走ることができる。ただし走れるのは開業した第1期線の線路。未成区間は走れない(筆者撮影)
トロッコ王国美深に残る仁宇布駅の駅名標。下部の隣駅表示に未成区間の駅が書き加えられているが、なぜか「きたみおおまがり」ではなく終点の「えさし」だ(筆者撮影)
美幸線の第1期線の起点だった美深駅。現在の駅舎は第1期線の廃止後に建設された(筆者撮影)
小型気動車が導入されたころの小頓別―枝幸間の簡易軌道。美幸線の着工に伴い廃止された(出典:歌登町『歌登町史』1980年)
1964年10月5日、美深―仁宇布間の開通式(出典:美深町『美深町史』1971年)
美幸線・美深―仁宇布間の最終日。わずか21年間の営業だった(出典:美深町『美深町のあゆみ』2014年12月)
いまの50~60代以上の世代なら、鉄道マニアでなくても「美幸線(びこうせん)」という鉄道路線の名前を覚…