"ちょっと贅沢"なシリーズも人気!チータラの「なとり」がおつまみで勝ち続けるワケ
「当初は、いかを中心とした水産加工品の販売が事業の中心でした。なかでも、甘辛い味付けで仕上げた『東京焼いか』は、子どもから大人まで幅広い層に支持されて大ヒットし、東京を起点に全国へ一気に広がりました」(株式会社なとり マーケティング・R&D開発本部マーケティングコミュニケーション部 小寺 美帆さん:以下同)
開発力と加工技術を武器に、水産珍味メーカーとしての地位を固めていったなとりだが、大きな転機となったのは二代目社長に名取小一氏が就任した後だった。創業当初にもチーズを扱う試みはあったものの、小一氏はそれをひとつの軸として明確に打ち出し、和だけでなく洋の要素を取り入れた「和洋折衷珍味」の開発を本格化させたのである。
1970年代後半には、ワインやチーズなどの洋風食材が一般家庭に浸透し始めた。同社はこの潮流をチャンスと捉え、いか×チーズという当時としては斬新な組み合わせを試し、「チーズいか」と呼ぶ試作品の開発に着手した。
しかし、チーズが時間とともにべたつき、いかが変色するなど製造上の課題が次々と明らかになり、商品化には至らなかった。
「いか」ではなくタラではどうか?
そこで小一氏は、「いかではなくタラのすり身を使ってはどうか」という発想に至る。タラは水分が少なく、加工後の変色が起きにくい。チーズとの相性も良く、製造ラインでも扱いやすい素材だった。実際に開発した試作品は社内で高く評価され、1982年に「チーズ鱈」として発売されるに至った。
発売初年の1982年だけで売上高20億円を達成し、大ヒットを記録。同年12月には三菱総合研究所が発表する「成長消費財トップ20」において新商品部門で1位にランクインするなど、発売直後から売れ行きは好調で、看板商品の一つに成長した。チーズと魚介の組み合わせは、当時まだ珍しかったが、濃厚なチーズの風味とタラの旨味のバランスが支持され、家庭のおつまみとして定着していったのだ。
その後、味のバリエーションや形状を変えた商品が次々に登場し、現在では PBや包装形態の違い、チルド商品も含めると、80種類以上もの「チーズ鱈」商品が展開されているという。また、同社はサラミやカルパスなどの畜肉製品でも人気商品を多数抱えており、“おつまみのなとり”というブランドイメージをさらに強固なものにしてきた。



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら