「人は離れていくのが自然」ーー。韓国ネット書店ブックオブザイヤーを獲得した76歳主婦が達観、人生後半は"軽やかな"人間関係がオススメ

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だから、あまり関係にこだわらない方がいい。

少しでも関係を維持したいなら、親睦会を作ることをおすすめする。人々が事あるごとに契(ケ)をしようと言い、さまざまな関係ごとにやたらと親睦会を作るのはそのためだ。

*契とは、頼母子講(たのもしこう)に似た韓国の民間相互扶助組織のこと

1960年代の初めに夫が大学に通っていた頃は、今の同好会とは少し性格の異なる文学サークルがあった。文学の夕べというイベントを行ったり、同人誌を作ったり、詩画展を開くなど、先輩と後輩が一緒に活動をしながら親交を深めていたが、社会人になり、仕事に追われるうちに少しずつ関係が薄れていったという。

その間に詩人としてデビューしたり、本を出したり、教授や記者、薬剤師、教員、医者とそれぞれの職業を持つようになっていたある日、夫婦同伴で集まることになった。

すると、やはり気が合って旅行にも一緒に行き、妻同士も意気投合した。夫婦一緒だと週末に集まるしかないが、働き盛りの時はそれもなかなか難しく、妻同士で平日の親睦会を作った。夫たちのグループ名が「幹線会」だったので、私たちは「支線会」とした。

以降、夫たちは「支線会」を通して互いの消息を知るようになり、妻たちの主導で旅行にも行き、とにかく立場が逆転した。集まるたびに男性陣は飽きもせずに遠い昔の話をし、女性たちも、大学時代に夫が何をしでかしたのか、どんな問題を起こしていたのかがよくわかった。

親睦会が結成された時、男性会員は10人を超えていたが、突然外国に移り住んだ夫婦もいたし、ある人は離婚し、重病にかかって闘病生活を続けるなど、それぞれの人生がそっくりそのまま私たちの集まりに投影された。

今ではみんな年をとって何人もの男性がこの世を去り、女性のなかにも亡くなった人がいる。男性はもう数人しか残っていないけれど、女4人の親睦会は続いていて、4人で最近久しぶりに会ってランチを食べ、これからもずっと集まろうねと約束して別れたところだ。

同窓会で改めて感じた「絆」

夫の大学時代の同じ学科の友達同士で作った親睦会もあり、それは男4人とその妻たちの集まりだ。子供たちがまだ幼い頃に始まったから、かれこれ50年近くになる。

当初は、乳飲み子がいたので各自の家を順番に回りながら1日じゅう遊び、帰る時は酒に酔った夫と子供2人を連れてタクシーをつかまえてと大変だったけれど、とにかく集まりは続いていた。

その親睦会の名前は「東西南北」だ。おかげで子供たちもお互いをよく知っていて、広い意味での家族みたいに過ごしてきた。すべての家の慶弔にかかわり、一緒に旅行もし、人生の喜怒哀楽を共に経験した仲だ。

うちの夫が死んだ後は7人で集まって食事をし、コーヒーを飲みながら思い出話をしている。残った3人の男たちも80代だから健康状態が思わしくなく、病院にも通っていて、いざ集まろうとなると日程調整に非常に苦労する。

先日会った時は、この老年男性たちの声があまりにも大きくて、思わず周囲を見回してしまうほどだった。耳が遠くなり、そのせいでやたらと声ばかりが大きくなってしまったのだろう。ああ、若い頃のバイタリティはどこへ行ったのやら、気力の衰えたご老人ばかりが残ってしまった。

教会に通っていた頃は、一緒に洗礼を受けた同期たちとグループを作り、聖歌の練習やボランティアなど何かと理由をつけて頻繁に会っていた。でも、引っ越したり、病気になったり、教会に通わなくなったりとさまざまな理由で解散し、今は、残った3人で1年に1、2回顔を合わせる程度だ。

生きていると、こうしていろんな理由や縁によっていくつもの集まりに参加することになる。中年期には年末の忘年会シーズンになると夫婦同伴でしょっちゅう外出するものだから、「芸能人夫婦のお二人さん、今夜はどこへお出かけですか」と娘にからかわれたりもした。

でも今は、大半が整理され、集まることがめっきりなくなった。人に会うためにおめかしをし、会合の場所を訪ねていくのが面倒なのだ。

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