定番のホームドラマ激変、「共同生活もの」が増える理由~『ぼくたちん家』『終活シェアハウス』『ひらやすみ』が映し出す新しい「ホーム」

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(画像:日本テレビ『ぼくたちん家』公式Webサイトより)
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今期のドラマは豊作と評判だ。そのなかで目を引くのは、さまざまな縁で出会った人びとが暮らしをともにする「共同生活もの」が隠れたトレンドになっていること。これまでも同様のドラマがなかったわけではないが、特に今期は共同生活のバリエーションも豊富で今まで以上に目立っている。特徴的な作品をいくつか選び、こうしたドラマがいま増えている理由を探ってみたい。(敬称略)

「ぼくたちん家」が表現するもの

『ぼくたちん家』の二重共同生活

まず『ぼくたちん家』(日本テレビ系)。及川光博演じる主人公・波多野玄一は、50歳のゲイ。心優しいがゆえに、つい臆病になり一歩を踏み出せない。年齢も重ねひとりで生きていくことを覚悟するが、そんな折に偶然出会った年下の中学教師・作田索(手越祐也)に恋心を抱く。クールな作田もまたゲイだった。

さらに玄一は、複雑な家庭事情を抱え、「トーヨコ(歌舞伎町)」通いをしている女子中学生の楠ほたる(白鳥玉季)から突然「父親」を演じてほしいと懇願され、断り切れず承諾する。しかもほたるの担任は索。そしてその索も、玄一とほたるが暮らすアパートの敷地の隅で車中泊をしながら暮らすことに。こうして3人の変則的な二重共同生活が始まる。

ここでの共同生活は、疑似家族とゲイ同士の同居生活という2つの側面がある。いままで孤独ながら穏やかに、それなりに安定した生活を送ってきた波多野が突然「親」になり、また抑えきれない恋心を抱く。どちらも波多野にとっては一大事件である。しかしそのなかでも、本来の優しさを決して失わない波多野を及川が魅力的に演じている。

タイトルの「ぼくたちん家」が表現するのは、家があって人があるのではなく人があって家がある、すなわち「ぼく」や「私」の一人ひとりが自分の家を選ぶのだという価値観だろう。自分の生きる場所はどこに生まれたかで決まるのではなく、その時々の置かれた状況によって自分が選択してよいということだ。

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