この先30年、40年続くはずだったキクノスケくんとの暮らしは、あまりにもあっけなく、指の間からすり抜けていった。
飼い主としての矛盾と葛藤
キクノスケくんは、奇跡的にその日のうちに保護された。どうやら朝のうちに通報が入り、無事に保護されていたらしい。保護の知らせを受け警察署に駆けつけたカマタさんは、疲れ切った表情のキクノスケくんと再会を果たした。
「それ以降は、徹底的にロスト対策をしています。キクノスケがいるときは絶対に網戸を開けないし、外に散歩に連れていくためのハーネスは、毎年新しいものに買い替えています。とにかく二度と、飛んでいってしまわないように」
キクノスケくんを見失った日は、自然環境研究センターから登録票が届いた2、3日後だった。もし登録票が届いていなかったら、たとえ飼い主でも、キクノスケくんを受け取ることができなかっただろう。
ロストを防ぐため、ペットの鳥に「クリッピング」を施す飼い主もいる。風切り羽の先を少し切って、飛べなくするための処置だ。痛みはないが、「空を飛ぶ」という鳥としての能力を奪うことになる。
一度ロストを経験したのだから、やるべきなのかもしれない。しかし、カマタさんはどうしても踏ん切りがつかないという。
「好きなものがあれば飛んできて、嫌なことがあれば飛んで逃げるという、鳥が持っているいちばんの能力を、僕の飼い主としての未熟さを埋めるためだけに奪っていいのだろうかと考えてしまうんです」
あの日空を飛んでいったキクノスケくんに、心を奪われた。灰色の羽を水平に広げ、真っ赤な尾を舵の代わりに揺らして遠ざかっていく。その原始的な美しさに、手を加えたくはない――。「自然を愛する者」と「飼い主」という矛盾の間で、カマタさんは葛藤している。
カマタさんの背後から、キクノスケくんが強化ガラスのお皿を引きずりながらひょっこりと現れた。
「あのお皿を持ってくるのは、ジュースを飲みたいときなんです。でも、今はそんな時間じゃないのであげません」
カマタさんが笑って無視すると、キクノスケくんはそれ以上主張することもなく、そのまま無表情で皿を引きずりながらフェードアウトしていった。



















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