「家庭料理は時短・中食化が進むけれど…」。製菓・製パン材料など1万点超の品ぞろえ、"作る人"のニーズを見逃さない富澤商店の戦略
富澤商店は2024年1月、東京都千代田区有楽町から町田市の京王多摩境駅前ビルに本社を移転した。合わせて関東近郊に点在していた倉庫・物流拠点を集約。ビルの2~4階が倉庫で、5階が本社オフィスだ。
転機は09年に創業家の4代目、富澤淳社長が就任したことだった。「アメリカの投資会社兼ホテル運営企業で経験を積んだ社長は、アナログ的だった会社に、製造物流のデジタル化を推進し、全国に出店する土壌を築きました」と原事業部長は説明する。

09年に13店しかなかった店舗は、16年までに57店、現在の約90店まで急速に増やしている。急拡大できた理由は「需要動向に地域差があまりないため、売れ行きを予測しやすい」前提がある。
常温保存できる製菓・製パン材料も多いが、高温多湿な環境に長期間置けば劣化する。高品質な品ぞろえを誇る同社では、23年5月に竣工した神奈川県橋本の新工場と本社倉庫で、徹底した温度管理で品質を保つ。
工場では必要な量をその都度梱包、出荷し劣化を防ぐ。また、多くの商品をメーカーや輸入元から直接仕入れることで物流にかかる時間も短縮している。
専門店としての強み
1919(大正8)年、現在の町田市で乾物店として創業した同社が、製菓・製パン材料の扱いを拡大したのは70年頃。54年から相模原にある米軍基地に薄力粉を卸売り販売していたことから、70年ごろにお菓子やパンの手作りブームが始まったのを受け、いち早く店頭で薄力粉の小分け販売を開始したのだ。
今でこそ薄力粉はスーパーの定番商品だが、昭和時代に中力粉は「うどん粉」、薄力粉は「メリケン粉」と呼ばれていた。日本人は長らく、国産小麦の中力粉でうどんや天ぷらなどを作ってきたからだ。
しかし、中力粉は洋菓子に向かない。富澤商店は薄力粉から始めて製菓・製パン関連商品に力を入れ、専門店としての地位を築いてきた。

2020年に始まったコロナ禍で、商業施設内に多く店舗を構えていた富澤商店は、大きなダメージを受ける。
「弊社はどちらかと言えばリアル店舗に強みがあります。実は2019年から来店者数が減り始め、一時はコロナ前の85%までダウンしました。
きっかけは商品の値上がりだと思います。もう一度お客様に来ていただけるよう、本社移転後に背水の陣覚悟で取り組みを始めました」と原事業部長は語る。
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