「電車で私の隣だけ空席に…」在日外国人が長年傷つき、時に笑い飛ばしてきた"空気"の正体
また、一人の人が問題を起こすと、少数派全体が簡単にレッテルを貼られ、常に信頼を勝ち取らなければならないプレッシャーが生じることにも言及した。
「マイノリティは普段から、まわりの人に対し、信頼貯金をつくる努力をしなければならないことを感じています。生きにくいし、疲れるけれど、実態としてそうなってしまっている気がしています」(女性、東京、会社員)
これらの日本人の声は、空席が目に見えないものではないことを示している。彼らがこの現象を認識していること自体が、正しい方向への一歩のように感じられる。
たどりついた対処法は書くこと
私は日本に20年間住んでいる。その間に、空席が礼儀の一種だと自分に言い聞かせたり、軽くあしらったり、笑い飛ばしたり、理想の「ガイジン」になりきったり、かつての友人のように自分が大名だと想像したりと、あらゆる段階を経験してきた。
ありとあらゆる対処法を試した。しかし、多くの対処法を試行錯誤した末、今日まで続けている一つの方法にたどり着いた。それは、書くことによって自分自身を浄化することだ。
空席は、2008年に私が初めて書いたブログ記事のテーマであり、私の回想録のテーマでもあった。それは私が自分の声を見つけ、日本で築き上げた執筆キャリアの出発点となった。私は空席を一時的な味方にしたのだ。
座るか、座らないか。その選択はもちろんあなた次第だ。しかし、どうか理解してほしい。たとえ誰も声に出して何も言わなくても、空席は常に何かを語っているのだ。
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